★日高文化歴史散歩 「第28章 日高のウインタースポーツ 氷上&雪上で七転八倒編 【1~48】!」 2023年(令和5年)1月下旬~2月初旬

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【全体のイメージ】

日高地方

【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】

『Ⅰ 町営富川スケートリンク 【1~7】』

写真1

1. 本シリーズ「日高文化歴史散歩」は、文化振興(地域歴史文化)のみならず、スポーツ振興を目的に作成しているものです。

 これまでの各章は、前者に偏っていたものの、この第28章では、「冬のスポーツ振興」に焦点を当てたいと思います。

 なお、当局HPでは、文化振興、及びスポーツ振興に資するため、次の「戦後史のページ」を掲載しています。

写真2

2.さて、日高地方のウインタースポーツと言えば、なんと言っても「スケート」だと思います。

 今日は、日高町富川の沙流川東岸にある『町営富川スケートリンク』にやってきました。

 旧門別町の郷土史によると、当スケートリンクは「平成元年(1989年)」に開設され、1周380mとのことです。

写真3

3.本日は日曜日、天気も良く、午前9時過ぎに当地に到着して「一番乗り」でした。

 これから、日高地方にある「主な4つのスケートリンク」を西から東へと順次訪れ、各リンクを20周ずつ滑走したいと思います。

 

写真4

4.私は、幼少期を雪・氷が全く無い地域で過ごしましたが、小学生の頃からローラースケートで遊び、また、近くの街にオールシーズン滑走可能な屋内スケートリンクがあったため、スケートをするのに「苦労した記憶」がありません。

 一番最後にスケートをしたのは、「中学校の卒業旅行の時」であり、屋外の大きなスケートリンクで、足を斜め後ろに強く蹴り、大きく手を振って滑ったのを記憶しています。

写真5

5.がしかし、スケートをした記憶は残っていたものの、このたび実際に滑ってみると、体には全く「スケートの感覚」が残っていませんでした・・・・

 色々な姿勢を試しますが、その度に転倒してしまい、ほとんど「初心者」のような状態で、親子連れに追い抜かれてしまいます。

 なお、人生の半分以上を北海道で暮らしいる私ですが、雪道を転ぶ際は、「必ず後ろに尻もちをつく」というのが神話のように頭に入っていたのが、ここは氷上ですが、人生で初めて上体を前へと転倒してしまいました。

写真6

6.結局、十回以上転倒してしまい、その度に手を氷上についていたので、気がついた時には「両腕の手首から肘まで」を強く痛めてしまっており、日常生活に支障が出る位の状態になってしまいました。

 当初は20周する予定でしたが、疲労により転倒の回数が増えてきたので、「10周」したところで切り上げることにします。

写真7

7.さて、想定外の事態の中、「次なるスケートリンク」へと車で向かいます。

 この時点で、1日に「4つのスケートリンク」を滑るのは、無理だと感じていました。

『Ⅱ 静内川右岸緑地公園スケートリンク 【8~15】』

写真8

8.正午前、新ひだか町静内の静内川西岸にある『静内川右岸緑地公園スケートリンク』に到着。

 旧静内町の郷土史によると、当スケートリンクは、都市計画整備事業で「平成3年(1991年)」に開設され、1周400mとのことです。

写真9

9.さて、これ以上両腕を痛めたら、自動車を運転するのも難しくなるため、とにかく「転倒」だけは避けて、10周することにします。

 がしかし、富川のリンクより整備が良いのか、または、気温上昇とともに日光に照らされ、氷の粘着力が無くなっていたのか、先ほどよりかなり「ツルツルの状態」で、滑り始めでいきなり転倒してしまいました。

写真10

10.幸いにして、うまく「背中を丸めて転倒」したので、両腕を痛めずに済みましたが、後ほど調べると、転倒をする際は、頭を打たないことはもちろん、出来るだけ体を丸めて転倒するのが良いとのことです。

写真11

11.その後、上体は出来るだけ直立、両スケート靴は出来るだけ平行、片足で少しだけ氷を蹴って、とにかく「転倒」だけは避けるようにゆっくり滑ります。

 なお、周囲を見ると、地元の小学生と思われる子供達が、何回も転倒していて、「苦労」しているようでした。

写真12

12.5周したところで疲れたので、「ベンチ」で一休み。

 

写真13

13.その後、ノルマ?の10周に向けて再び滑走、結局、転倒は最初の1回だけで済みましたが、当初の私の頭にあった、「颯爽と滑るイメージ」にはほど遠い状態です。

写真14

14.「 以上で、本日のスケートは終了! 」

 「スケート靴」をよく調べずにネット購入したところですが、周囲の多くの人達は、刃が長くて氷上にしっかり着氷した靴を履いているのに対し、私の靴は、アイスホッケーやフィギアスケート等にも対応したものなのか、刃が氷上に対して弧を描いており、前後に不安定です。

 しかし、「技術のある人」は、どんな靴でもうまく滑ることでしょう。

写真15

15.この日は強い寒気が南下して、「氷点下5度前後」の寒い日でしたが、スケートの際には全く寒さを感じませんでした。

 しかし、遅めの昼食として、こってり濃厚の「味噌ラーメン」をいただきます。

 なお、食事の前に、「静内の書店」でスケートに関する本を探すも見つからず、そもそも自宅に帰って「ネット購入」しようとしても、適当な書籍が見つからなかったところです。

『Ⅲ 浦河町スケートリンク 【16~23】』

写真16

16.さて、前述の翌週の日曜日、この日も天気が良く、午前9時過ぎに浦河市街の北西端にある『浦河町スケートリンク』にやってきました。

 現在の私の自宅からは、車で2~3分で着き、「歩いても行ける所」にあります。

 浦河町の郷土史によれば、当スケートリンクは堺町から緑町へ移設されて、「平成3年(1991年)」に開設、1周400mとのことです。

 

写真17

17.さて、前述の2つのスケート場の時とは異なり、ここには多くの人達が集まっており、幸か不幸か、「スポーツ少年団の練習」と重なってしまったようです。

写真18

18.ここにきて初めて、「本格的なスピードスケート」のように滑る子供達を見ました。

 

写真19

19.一方の私は、先週に痛めた両腕が完治しておらず、また前夜、自宅で転ぶ練習をしたところ、「尾てい骨」も痛めていることが判明。

 もし転んだら、体に激痛が走って更に深手を負うと思われるため、情けないことに、「内側の初心者用リンク」で椅子に手をついて練習開始。

写真20

20.なお、先週以降、ユーチューブ等で「スケートの基本」を学び、それによると、スケートの基本形は、両靴は「前に逆ハの字」、片方の足で斜め後ろに蹴り、もう片方の足を斜め前に出して膝あたりに重心をのせ、出来るだけ片方の足だけでバランスをとるというものです。

 先週の「静内での10周の練習」は、ほとんど意味が無かったのかもしれません。

写真21

21.しかし、椅子に手をかけて「片足だけでバランス」をとろうとしますが、しっくりせずに時折バランスを崩すので、椅子が無ければ転倒すると思われます。

 私が幼少の頃、苦もなくスケートが出来たのは、「ローラースケート」で何回も遊んでいるうちに、片方の足だけでバランスを保つ感覚を得ていたのかもしれません。

写真22

22.1時間ほどして、椅子を軽く握り続けるだけでも両手首が痛みだし、また、スポーツ少年団の練習も終了の状態なので、私も「軽めの練習」で切り上げることにします。

写真23

23.さて、日高地方に主に4つあるスケートリンクのうち、最後の「えりも町営スケートリンク」へと車で向かいます。

『Ⅳ えりも町営スケートリンク 【24~30】』

写真24

24.そして正午前、えりも本町市街の東端にある『えりも町営スケートリンク』に到着。

 えりも町の郷土史によると、「昭和43年(1969年)」に、当時、日高管内一のスケートリンクとして開設され、現在のリンクは1周200mとのことです。

写真25

25.滑っている人が誰もいなくて、「貸し切り状態」です。

写真26

26.正直、あまり整備されていないと思いきや、真っ平な氷そのもので、静内や浦河のリンクと同等か、それ以上に「ツルツルの状態」でした。

 ここでも「椅子」を使って、練習を開始します。

写真27

27.なお、この日は、浦河町ではほぼ無風でしたが、えりも町では「強風」が吹いており、追い風の時は、ツルツルの氷上を勝手に前に進んで行きますが、向かい風の時は、滑るのがきつくなります。

 ここで、ユーチューブで学んだ初心者の一番目の練習、靴を逆ハの字にして、「ペンギンのように歩く練習」をします。

写真28

28.しかし、椅子が小さく、かなり前かがみにする必要があって、腰が痛くなってきたため、「10周」したところで練習を切り上げます。

 なお、今回訪れた4つのスケートリンクは、いずれも「ナイター設備」があり、私の場合は、毎晩、浦河のリンクで練習が出来る環境なので、両腕が完治したら行ってみたいと思いますが、その前に今シーズンの営業が終了してしまいそうです・・・・

写真29

29.ちなみに、私が引き上げるのと行き違いで、「親子連れ」が訪れて、スケートの練習やソリ遊びをしていました。

写真30

30.この日は、ほとんど運動をしていませんが、遅めの昼食として「おいしい海鮮丼」をいただきます。

 スポーツ振興の目的が、いつの間にか「グルメ振興」になってしまいそうです。

 元はと言えば、全く予備知識が無いままに根拠無き自信だけで、富川スケートリンクで無茶ぶりでスケートをし始め、転倒しまくった自分が悪いのであって、きちんと事前学習をすれば、「手軽に出来る楽しいスポーツ」だと思います。

『Ⅴ 日高国際スキー場 【31~48】』

写真31

31.さて、前述の翌週の土曜日、浦河町から車で約140km先にある『日高国際スキー場』にやってきました。

 平取町以北は「雪道」を覚悟していましたが、幸いなことに道中に雪はほとんどありませんでした。

 旧日高町の郷土史によると、当スキー場は、札幌オリンピック開催の年の「昭和47年(1972年)」に開設されたとのことです。

写真32

32.なお、日高地方には、当スキー場の他に、旧門別町内にも『広富スキー場』という小規模のスキー場があります。

 上の写真は、以前撮影したものですが、今回、事前に電話で問い合わせると、通常、土日に運行する「簡易リフト」が、残念ながら現在は故障中とのことでした。

 また、旧三石町の郷土史によると、昭和51年(1976年)に「三石町営スキー場」が開設されるも、積雪量が極めて少なく、滑走期間が限られるため、残念ながら閉鎖されてしまったとのことです。

写真33

33.私はスケートと異なり、「スキーを修得する」のには、大変苦労した記憶が残っています。

 人並み以上に滑れるようになったのは、道内に住み始めて「数年後」のことです。

 その後は、「ゴンドラ」に乗って頂上まで行き、一気に麓まで滑るようなスキーを好んでいたので、当スキー場を滑るのは今回が初めてです。

写真34

34.なお、私が最後にスキーをしたのは十年以上前であり、一度やめた習慣を再び始めるには膨大なエネルギーを要し、自宅の押入れの一番奥にあった「スキー板」を引っ張り出すだけで、疲れてしまいました。

 さらに、2週間前に痛めた両腕がまだ完治しておらず、両腕に全く力が入らないため、「スキー靴」を履くことが出来ず、スキー場の係員の方に履くのを手伝ってもらった始末です。

写真35

35.さて、当スキー場の「リフト券」は、優待券を使えば、1日券でも2,600円と安いのですが、今回は軽めにスキーをすることにし、2時間券を1,500円で購入します。

 

写真36

36.まずは、スキー板を履いて、地表をスケーティングして体を慣らしますが、体力を消耗するので、すぐに「リフト」に乗ることにします。

 なお、この日は何かの「スキーの大会」をしているようでした。

写真37

37.4つのリフトを乗り継いで、一気に頂上まで行こうかと思いましたが、念のために「第1リフト」を降りた所で、試しに麓まで滑ってみることにしました。

 ボーゲン→パラレル→ウェーデルンと順番に試して滑りますが、安定感では全盛期に遠く及ばず、また、板を全く手入れしていないためか、または、先週までスケートをしていたためか、板が雪上を滑らずに「詰まるような感覚」です。 

 なお、「ウェーデルン」という言葉をネットで検索すると、現在では死語になっているとのこと・・・・

写真38

38.続いて、4つのリフトを乗り継いで、「頂上」まで向かいます。

 なお、前日の夜にネットで初めて知ったのですが、一番上の「第4リフト」は、普段は運行していないとのことです。

写真39

39.そして、本日のメインの目的の一つ、「頂上からの記念撮影」を行います。

 美しい日高山脈・・・・と思いきや、当地は日高山脈の北端にあり、ゲレンデは北西方向を向いているので、目の前に広がるのは「夕張山地」付近だと思われます。

写真40

40.さて、夕張山地の右側(東側)にある「大雪山地」に向けて、滑走を開始します。

写真41

41.滑るのに夢中で、当初は気が付かなかったものの、隣には何と「新雪」がありました。

 過去、何百回かスキーに行っても、滅多に味わうことが出来なかった「雲の上を滑るようなフワフワ感」を味わうチャンスでしたが、今回はまだスキーに慣れていないため、滑るのを断念することに。

 なお、現在、コース外を滑る「バックカントリースキー」による事故が問題となっていますが、大抵は、新雪のフワフワ感を味わうために滑っているものと思われます。

写真42

42.さて、第4リフトの下まで来たところで、「長距離の林間コース」があったので、そちらに向かいます。

写真43

43.「約2kmのコース」をひたすら下へと滑ります。

 

写真44

44.そして、ようやく「メインのコース」に合流、一気に麓まで滑ります。

写真44

45.「 以上で、本日のスキーは終了! 」

 滑り始めてから、まだ1時間も経っておらず、「歴代最短時間のスキー」だったと思います。

 正直、両腕の負傷をかばいながら滑っても、「スピード」が出せないため面白くなく、もう一回頂上から滑ったところで、スキーの内容は同じとなるでしょう。

 結局、本章のタイトルとは裏腹に、両腕の負傷後に転倒したのは静内での1回だけであり、「不甲斐ない滑り」の連続となり申し訳ございません・・・・

写真46

46.なお、前日の夜にネットで初めて知ったのですが、この日から偶然「味の市フェスティバル」と称した催しが行われており、たくさんの出店がありました。

写真47

47.多くの出店の中から、「地元産」と思われるものをメインに購入します。

写真48

48.もっとたくさんのものを購入したかったところですが、手に持ちきれずに冷めてしまうため、「ヤマベの天むす、きのこ汁、タコロッケ」を購入していただきます。

 結局、最後は「グルメ振興」になってしまうのでありました・・・・

【以上、スケート滑走距離 推定約14km、スキー滑走距離 推定約4km】

(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」

★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)

1~5 (PNG 53.3KB)

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様似写真

浦河写真

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★第6章~第10章 (2021年10月~11月)

6~10 (PNG 50.1KB)

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★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)

11~15 (PNG 61.5KB)

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★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)

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(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!

ブララブヒダカ写真

(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」

【当該サイトの主な掲載内容】

  1. 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
  2. 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
  3. 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
  4. 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
  5. 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
  6. 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
  7. 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
  8. 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
  9. 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
  10. 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
  11. 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
  12. 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
  13. 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
  14. 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
  15. 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
  16. 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」

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