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【全体のイメージ】
【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】
『Ⅰ 町営富川スケートリンク 【1~7】』
1. 本シリーズ「日高文化歴史散歩」は、文化振興(地域歴史文化)のみならず、スポーツ振興を目的に作成しているものです。
これまでの各章は、前者に偏っていたものの、この第28章では、「冬のスポーツ振興」に焦点を当てたいと思います。
なお、当局HPでは、文化振興、及びスポーツ振興に資するため、次の「戦後史のページ」を掲載しています。
2.さて、日高地方のウインタースポーツと言えば、なんと言っても「スケート」だと思います。
今日は、日高町富川の沙流川東岸にある『町営富川スケートリンク』にやってきました。
旧門別町の郷土史によると、当スケートリンクは「平成元年(1989年)」に開設され、1周380mとのことです。
3.本日は日曜日、天気も良く、午前9時過ぎに当地に到着して「一番乗り」でした。
これから、日高地方にある「主な4つのスケートリンク」を西から東へと順次訪れ、各リンクを20周ずつ滑走したいと思います。
4.私は、幼少期を雪・氷が全く無い地域で過ごしましたが、小学生の頃からローラースケートで遊び、また、近くの街にオールシーズン滑走可能な屋内スケートリンクがあったため、スケートをするのに「苦労した記憶」がありません。
一番最後にスケートをしたのは、「中学校の卒業旅行の時」であり、屋外の大きなスケートリンクで、足を斜め後ろに強く蹴り、大きく手を振って滑ったのを記憶しています。
5.がしかし、スケートをした記憶は残っていたものの、このたび実際に滑ってみると、体には全く「スケートの感覚」が残っていませんでした・・・・
色々な姿勢を試しますが、その度に転倒してしまい、ほとんど「初心者」のような状態で、親子連れに追い抜かれてしまいます。
なお、人生の半分以上を北海道で暮らしいる私ですが、雪道を転ぶ際は、「必ず後ろに尻もちをつく」というのが神話のように頭に入っていたのが、ここは氷上ですが、人生で初めて上体を前へと転倒してしまいました。
6.結局、十回以上転倒してしまい、その度に手を氷上についていたので、気がついた時には「両腕の手首から肘まで」を強く痛めてしまっており、日常生活に支障が出る位の状態になってしまいました。
当初は20周する予定でしたが、疲労により転倒の回数が増えてきたので、「10周」したところで切り上げることにします。
7.さて、想定外の事態の中、「次なるスケートリンク」へと車で向かいます。
この時点で、1日に「4つのスケートリンク」を滑るのは、無理だと感じていました。
『Ⅱ 静内川右岸緑地公園スケートリンク 【8~15】』
8.正午前、新ひだか町静内の静内川西岸にある『静内川右岸緑地公園スケートリンク』に到着。
旧静内町の郷土史によると、当スケートリンクは、都市計画整備事業で「平成3年(1991年)」に開設され、1周400mとのことです。
9.さて、これ以上両腕を痛めたら、自動車を運転するのも難しくなるため、とにかく「転倒」だけは避けて、10周することにします。
がしかし、富川のリンクより整備が良いのか、または、気温上昇とともに日光に照らされ、氷の粘着力が無くなっていたのか、先ほどよりかなり「ツルツルの状態」で、滑り始めでいきなり転倒してしまいました。
10.幸いにして、うまく「背中を丸めて転倒」したので、両腕を痛めずに済みましたが、後ほど調べると、転倒をする際は、頭を打たないことはもちろん、出来るだけ体を丸めて転倒するのが良いとのことです。
11.その後、上体は出来るだけ直立、両スケート靴は出来るだけ平行、片足で少しだけ氷を蹴って、とにかく「転倒」だけは避けるようにゆっくり滑ります。
なお、周囲を見ると、地元の小学生と思われる子供達が、何回も転倒していて、「苦労」しているようでした。
12.5周したところで疲れたので、「ベンチ」で一休み。
13.その後、ノルマ?の10周に向けて再び滑走、結局、転倒は最初の1回だけで済みましたが、当初の私の頭にあった、「颯爽と滑るイメージ」にはほど遠い状態です。
14.「 以上で、本日のスケートは終了! 」
「スケート靴」をよく調べずにネット購入したところですが、周囲の多くの人達は、刃が長くて氷上にしっかり着氷した靴を履いているのに対し、私の靴は、アイスホッケーやフィギアスケート等にも対応したものなのか、刃が氷上に対して弧を描いており、前後に不安定です。
しかし、「技術のある人」は、どんな靴でもうまく滑ることでしょう。
15.この日は強い寒気が南下して、「氷点下5度前後」の寒い日でしたが、スケートの際には全く寒さを感じませんでした。
しかし、遅めの昼食として、こってり濃厚の「味噌ラーメン」をいただきます。
なお、食事の前に、「静内の書店」でスケートに関する本を探すも見つからず、そもそも自宅に帰って「ネット購入」しようとしても、適当な書籍が見つからなかったところです。
『Ⅲ 浦河町スケートリンク 【16~23】』
16.さて、前述の翌週の日曜日、この日も天気が良く、午前9時過ぎに浦河市街の北西端にある『浦河町スケートリンク』にやってきました。
現在の私の自宅からは、車で2~3分で着き、「歩いても行ける所」にあります。
浦河町の郷土史によれば、当スケートリンクは堺町から緑町へ移設されて、「平成3年(1991年)」に開設、1周400mとのことです。
17.さて、前述の2つのスケート場の時とは異なり、ここには多くの人達が集まっており、幸か不幸か、「スポーツ少年団の練習」と重なってしまったようです。
18.ここにきて初めて、「本格的なスピードスケート」のように滑る子供達を見ました。
19.一方の私は、先週に痛めた両腕が完治しておらず、また前夜、自宅で転ぶ練習をしたところ、「尾てい骨」も痛めていることが判明。
もし転んだら、体に激痛が走って更に深手を負うと思われるため、情けないことに、「内側の初心者用リンク」で椅子に手をついて練習開始。
20.なお、先週以降、ユーチューブ等で「スケートの基本」を学び、それによると、スケートの基本形は、両靴は「前に逆ハの字」、片方の足で斜め後ろに蹴り、もう片方の足を斜め前に出して膝あたりに重心をのせ、出来るだけ片方の足だけでバランスをとるというものです。
先週の「静内での10周の練習」は、ほとんど意味が無かったのかもしれません。
21.しかし、椅子に手をかけて「片足だけでバランス」をとろうとしますが、しっくりせずに時折バランスを崩すので、椅子が無ければ転倒すると思われます。
私が幼少の頃、苦もなくスケートが出来たのは、「ローラースケート」で何回も遊んでいるうちに、片方の足だけでバランスを保つ感覚を得ていたのかもしれません。
22.1時間ほどして、椅子を軽く握り続けるだけでも両手首が痛みだし、また、スポーツ少年団の練習も終了の状態なので、私も「軽めの練習」で切り上げることにします。
23.さて、日高地方に主に4つあるスケートリンクのうち、最後の「えりも町営スケートリンク」へと車で向かいます。
『Ⅳ えりも町営スケートリンク 【24~30】』
24.そして正午前、えりも本町市街の東端にある『えりも町営スケートリンク』に到着。
えりも町の郷土史によると、「昭和43年(1969年)」に、当時、日高管内一のスケートリンクとして開設され、現在のリンクは1周200mとのことです。
25.滑っている人が誰もいなくて、「貸し切り状態」です。
26.正直、あまり整備されていないと思いきや、真っ平な氷そのもので、静内や浦河のリンクと同等か、それ以上に「ツルツルの状態」でした。
ここでも「椅子」を使って、練習を開始します。
27.なお、この日は、浦河町ではほぼ無風でしたが、えりも町では「強風」が吹いており、追い風の時は、ツルツルの氷上を勝手に前に進んで行きますが、向かい風の時は、滑るのがきつくなります。
ここで、ユーチューブで学んだ初心者の一番目の練習、靴を逆ハの字にして、「ペンギンのように歩く練習」をします。
28.しかし、椅子が小さく、かなり前かがみにする必要があって、腰が痛くなってきたため、「10周」したところで練習を切り上げます。
なお、今回訪れた4つのスケートリンクは、いずれも「ナイター設備」があり、私の場合は、毎晩、浦河のリンクで練習が出来る環境なので、両腕が完治したら行ってみたいと思いますが、その前に今シーズンの営業が終了してしまいそうです・・・・
29.ちなみに、私が引き上げるのと行き違いで、「親子連れ」が訪れて、スケートの練習やソリ遊びをしていました。
30.この日は、ほとんど運動をしていませんが、遅めの昼食として「おいしい海鮮丼」をいただきます。
スポーツ振興の目的が、いつの間にか「グルメ振興」になってしまいそうです。
元はと言えば、全く予備知識が無いままに根拠無き自信だけで、富川スケートリンクで無茶ぶりでスケートをし始め、転倒しまくった自分が悪いのであって、きちんと事前学習をすれば、「手軽に出来る楽しいスポーツ」だと思います。
『Ⅴ 日高国際スキー場 【31~48】』
31.さて、前述の翌週の土曜日、浦河町から車で約140km先にある『日高国際スキー場』にやってきました。
平取町以北は「雪道」を覚悟していましたが、幸いなことに道中に雪はほとんどありませんでした。
旧日高町の郷土史によると、当スキー場は、札幌オリンピック開催の年の「昭和47年(1972年)」に開設されたとのことです。
32.なお、日高地方には、当スキー場の他に、旧門別町内にも『広富スキー場』という小規模のスキー場があります。
上の写真は、以前撮影したものですが、今回、事前に電話で問い合わせると、通常、土日に運行する「簡易リフト」が、残念ながら現在は故障中とのことでした。
また、旧三石町の郷土史によると、昭和51年(1976年)に「三石町営スキー場」が開設されるも、積雪量が極めて少なく、滑走期間が限られるため、残念ながら閉鎖されてしまったとのことです。
33.私はスケートと異なり、「スキーを修得する」のには、大変苦労した記憶が残っています。
人並み以上に滑れるようになったのは、道内に住み始めて「数年後」のことです。
その後は、「ゴンドラ」に乗って頂上まで行き、一気に麓まで滑るようなスキーを好んでいたので、当スキー場を滑るのは今回が初めてです。
34.なお、私が最後にスキーをしたのは十年以上前であり、一度やめた習慣を再び始めるには膨大なエネルギーを要し、自宅の押入れの一番奥にあった「スキー板」を引っ張り出すだけで、疲れてしまいました。
さらに、2週間前に痛めた両腕がまだ完治しておらず、両腕に全く力が入らないため、「スキー靴」を履くことが出来ず、スキー場の係員の方に履くのを手伝ってもらった始末です。
35.さて、当スキー場の「リフト券」は、優待券を使えば、1日券でも2,600円と安いのですが、今回は軽めにスキーをすることにし、2時間券を1,500円で購入します。
36.まずは、スキー板を履いて、地表をスケーティングして体を慣らしますが、体力を消耗するので、すぐに「リフト」に乗ることにします。
なお、この日は何かの「スキーの大会」をしているようでした。
37.4つのリフトを乗り継いで、一気に頂上まで行こうかと思いましたが、念のために「第1リフト」を降りた所で、試しに麓まで滑ってみることにしました。
ボーゲン→パラレル→ウェーデルンと順番に試して滑りますが、安定感では全盛期に遠く及ばず、また、板を全く手入れしていないためか、または、先週までスケートをしていたためか、板が雪上を滑らずに「詰まるような感覚」です。
なお、「ウェーデルン」という言葉をネットで検索すると、現在では死語になっているとのこと・・・・
38.続いて、4つのリフトを乗り継いで、「頂上」まで向かいます。
なお、前日の夜にネットで初めて知ったのですが、一番上の「第4リフト」は、普段は運行していないとのことです。
39.そして、本日のメインの目的の一つ、「頂上からの記念撮影」を行います。
美しい日高山脈・・・・と思いきや、当地は日高山脈の北端にあり、ゲレンデは北西方向を向いているので、目の前に広がるのは「夕張山地」付近だと思われます。
40.さて、夕張山地の右側(東側)にある「大雪山地」に向けて、滑走を開始します。
41.滑るのに夢中で、当初は気が付かなかったものの、隣には何と「新雪」がありました。
過去、何百回かスキーに行っても、滅多に味わうことが出来なかった「雲の上を滑るようなフワフワ感」を味わうチャンスでしたが、今回はまだスキーに慣れていないため、滑るのを断念することに。
なお、現在、コース外を滑る「バックカントリースキー」による事故が問題となっていますが、大抵は、新雪のフワフワ感を味わうために滑っているものと思われます。
42.さて、第4リフトの下まで来たところで、「長距離の林間コース」があったので、そちらに向かいます。
43.「約2kmのコース」をひたすら下へと滑ります。
44.そして、ようやく「メインのコース」に合流、一気に麓まで滑ります。
45.「 以上で、本日のスキーは終了! 」
滑り始めてから、まだ1時間も経っておらず、「歴代最短時間のスキー」だったと思います。
正直、両腕の負傷をかばいながら滑っても、「スピード」が出せないため面白くなく、もう一回頂上から滑ったところで、スキーの内容は同じとなるでしょう。
結局、本章のタイトルとは裏腹に、両腕の負傷後に転倒したのは静内での1回だけであり、「不甲斐ない滑り」の連続となり申し訳ございません・・・・
46.なお、前日の夜にネットで初めて知ったのですが、この日から偶然「味の市フェスティバル」と称した催しが行われており、たくさんの出店がありました。
47.多くの出店の中から、「地元産」と思われるものをメインに購入します。
48.もっとたくさんのものを購入したかったところですが、手に持ちきれずに冷めてしまうため、「ヤマベの天むす、きのこ汁、タコロッケ」を購入していただきます。
結局、最後は「グルメ振興」になってしまうのでありました・・・・
【以上、スケート滑走距離 推定約14km、スキー滑走距離 推定約4km】
(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」
★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)
★第6章~第10章 (2021年10月~11月)
★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)
★第16章~第20章 (2022年8月~10月)
★第21章~第25章 (2022年11月~12月)
★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)
(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!
(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」