★日高文化歴史散歩 「第26章 主な縄文遺跡を巡るⅡ 冬の日高東部(三石・浦河・様似・えりも)サイクリング編 【1~57】!」 2022年(令和4年)12月下旬

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【全体のイメージ】

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【参考:北海道日高振興局管内の地図】

『Ⅰ 三石の遺跡から浦河へ 【1~8】』

写真1

1.令和3年(2021年)の「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を機に、日高管内の主な縄文遺跡をまとめた次の写真集。

 前回の第25章では、そのうちの「日高中部(静内・新冠・三石)の遺跡」を、12月中旬にサイクリングして回りましたが、今回は「更に東へと向かう続編」です。

写真2

2.前回は最後に、三石市街から約5kmほど北にある「ホロケ遺跡」を訪れる予定でしたが、直前に甘い昆布ソフトクリームをいただき戦意を喪失、結局、次の機会に訪れることにしました。

 さて、その「次の機会」がやってきました。

 今回は、『旧日高三石駅』から【北進】して上記遺跡を訪れた後、浦河・様似・えりもにある各遺跡を、順次【東進】して訪れたいと思います。

写真3

3.まずは、三石市街東端を流れる三石川の「右岸(西側)沿いの道」を【北進】します。

写真4

4.すると、ほどなく左手(西側)の高台にある『旧延出小学校』が見えてきました。

 「ホロケ遺跡」は、その旧小学校の東隣にあります。

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5.そして、あっけなく『ホロケ遺跡』付近に到着。

 ここは、主に「縄文時代・後期(約4千年前~約3千年前)」の遺跡であり、静内御殿山墳墓群でも見られる「積石墓」等を出土したとのことです。

写真6

6.さて、「三石川」を渡り、約10kmほど東にある次なる遺跡「上東栄遺跡」を目指すことにします。

写真7

7.両側にサラブレット牧場が広がり、アップダウンが続く「内陸の道」をひたすら東へとサイクリング。

写真8

8.途中、三石名産「みついし牛さん」がたくさんいました。

『Ⅱ 浦河西の遺跡 【9~20】』

写真9

9.その後、浦河町の荻伏付近を流れる「元浦川」を渡ります。

 なお、奥にある冠雪した「山の名前」は・・・・

 前々回の第24章では「分からない」としましたが、このたび地図で調べると、「ペテガリ岳・神居岳・ピリカヌプリ岳」あたりだと思われます。

写真10

10.なお、前回の第25章では、私に何を期待したのか分かりませんが、新冠で「四頭のサラブレット」が、頭を乗り出して私に近づいてきました。

 今回は「六頭のサラブレット」のうち、一頭が私に興味を抱いて近づくと、全頭が後を付いてきて、そのうち一頭が突如逃げ出すと、全頭が逃げ出すという、その繰り返しとなりました。

 正直、「サラブレット」が何を考えているのか、何も考えずに行動しているのか分かりません。

写真11

11.ちなみに北側に目を向けると、広大なサラブレット牧場と、冠雪した日高山脈の「美しい景色」が見えました。

 この雪の少なさを見ると、日高地方にたくさんの「サラブレット牧場」があるのも頷けます。

写真12

12.さて、次なる遺跡の「上東栄遺跡」は、太平洋側にあるので、内陸沿いの道を右折して【南進】します。

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13.そして、元浦川の左岸(東側)にある『上東栄遺跡』付近に到着。

 なお、手前に見えるのは「旧JR日高線」です。

 ここは、主に「縄文時代・後期(約4千年前~約3千年前)」の遺跡であり、火事で焼けたと推定される竪穴住居や、動物捕獲用落とし穴等を出土したとのことです。

写真14

14.さて、目の前に太平洋が見えてきて、「国道235号線」(優駿浪漫街道)に合流します。

写真15

15.その後、右手に太平洋を望みながら、まずは「浦河中心街」を目指して【東進】します。

 次なる遺跡は、浦河中心街を越えて約10km以上東にある「白泉遺跡」です。

写真16

16.そして、「浦河市街の西端」に到着。

 午前8時半に三石を出発し、途中ブラブラしながらも、「約2時間半後」の午前11時に到着です。

写真17

17.この付近は、浦河町で一番大きな住宅街の『堺町』ですが、その中にちょっとした「飲み屋街」があります。

 これまで、水分を全くとらずに自転車を漕ぎ続けてきたので、ここで浦河町名産「夏いちご」の冷たいドリンクを購入します。

写真18

18.海辺の『浦河みなと公園』まで行き、冷たいドリンクをいただきます。

 青い海・照りつける太陽の日差し・全身汗だくの私、「完全に気分は真夏」です。

 なお、先日の「全国的な豪雪」により、紋別や新潟他で被害に遭われた方には申し訳なく思います。

写真19

19.しかし、このようなことを言うと新潟の方に怒られるかもしれませんが、ニュースで新潟が報道されるのは豪雪の時が多く、「新潟の冬=豪雪」のイメージが私の頭の中にありますが、以前、冬の新潟の平野部を訪れた際には、全く雪が無くてビックリしたことがあります。

写真20

20.さて、浦河中心街へと入り、『浦河町立図書館』でひなたぼっこして一休み。

『Ⅲ 浦河東の遺跡から様似の遺跡へ 【21~35】』

写真21

21.その後、浦河市街を後にし、太平洋沿岸の国道を【東進】し続けます。

写真22

22.そして、『白泉遺跡』付近に到着。

 ここは、主に「続縄文時代(約2千数百年前~7世紀頃)」の遺跡であり、日高自動車道の日高厚賀IC付近にある大狩部遺跡で、初めて出土したとされる「大狩部式土器」を主に出土したとのことです。

写真23

23.さて、次なる遺跡は、内陸にある「西舎(にしちゃ)遺跡」です。

 十勝方面へと向かう「国道236号線(天馬街道)」を【北進】して、向かいます。

写真24

24.そして、『西舎遺跡』の主要部付近に到着。

 なお、看板に「日高乗馬療育インストラクター養成学校」とありますが、障がいがある方など特別な配慮が必要な方には、「乗馬活動」が効果があると言われています。

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25.ちなみに、体を90度北へ向けると、『優駿ビレッジAERU』や「JRA日高育成牧場」の看板があります。

 実は、この両者付近も「西舎遺跡」となっています。

 この遺跡は、主に「縄文時代・早期(約1万千年前~約7千年前)」の遺跡であり、縄文(早期)の平底土器・縄文(前期)の静内中野式土器他を出土したとのことです。

写真26

26.さて、国道236号線を更に【北進】すると、浦河~十勝間を車で往復する際に必ず見かける「コンビニ」があります。

 大手チェーンではないので、私は一度も入店したことが無かったのですが、この日初めて入店すると、ジェラートアイスクリーム他、たくさんの「スイーツ」が販売されていてビックリしました。

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27.ここで、浦河市街と同じく、浦河町名産「夏いちご」の冷たいドリンクをいただきます。

 夏いちごの「すずあかね」からたくさんのエネルギーをいただき、更に【北進】し続けます。

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28.その後、日高幌別川に架かる『西舎橋』から、南西側の「西舎遺跡」を撮影します。

 この遺跡は、「日高幌別川の右岸(西側)段丘」にある遺跡であることが分かります。

写真29

29.更に国道を【北進】すると、「西様似方面」への矢印看板があり、ここを右折して【南東進】し、様似市街を目指します。

写真30

30.途中、春を思わせる雪解け水の音を聞きながら「山道の峠」を越えると、後はゆるやかな下り坂がしばらく続くボーナスステージへと入ります。

写真31

31.ゆるやかな下り坂を約5kmほど下り、太平洋沿いの見覚えのある「国道336号線」へと合流。

 なお、次なる遺跡は、写真奥(東側)にある『観音山』にあります。

 ここまで来てかなり疲れていましたが、これから「観音山」を登るか、それとも南側にある眺望の良い「エンルム岬の展望台」から観音山を眺めるか・・・・

写真32

32.結局、最後の力を振り絞り、『エンルム岬展望台』まで登ることにしました。

写真33

33.展望台の左手(西側)に「観音山」があり、その頂上付近に「展望台」が見えますが、町道から展望台へと向かう分かれ道付近に、「観音山遺跡の旨の標識」があります。

 ここは、主に「縄文時代・前期(約7千年前~約5千年前)」の遺跡であり、この時期は地球温暖化により海水面が数m上昇、いわゆる「縄文海進」が起きたので、高台にあるのも頷けます。

 また、ここからは主に「静内中野式土器」を出土したとのことです。

 

写真34

34.さて、三石から東へサイクリングすること約50km以上、午後3時に『旧様似駅』に到着。

写真35

35.当地以東は、「明日」サイクリングすることとし、当地に自転車を置いて、ひとまず私は、車を駐車してある三石までバスで撤収します。

『Ⅳ 様似の遺跡からえりもへ 【36~41】』

写真36

36.さて、翌日は午前9時に出発、様似中心街を通って【東進】します。

写真37

37.冠雪した『アポイ岳』を前方に望みながら、太平洋沿いをサイクリング。

 次なる遺跡は、アポイ岳の麓にある「冬島遺跡」です。

写真38

38.そして、「冬島遺跡」付近に到着。

 なお、写真の岩は、この地の名勝の『冬島の穴岩』です。

写真39

39.体を45度北へ向けると、『冬島遺跡』がある高台が見えます。

 ここは、主に「縄文時代・晩期(約3千年前~約2千数年前)」の遺跡であり、土器や積石墓等を出土し、その出土品は今年新たに「様似町の文化財」に指定されています。

写真40

40.さて、次なる遺跡は、えりも本町市街の東側の「東歌別遺跡」であり、東へ遠く約20km先の地にあります。

 まずは、えりも本町を目指して、太平洋沿岸をひらすら東へとサイクリング、途中、江戸時代には東蝦夷地最大の難所とされた『日高耶馬溪』を通過します。

写真41

41.その後、ようやく「えりも本町市街」が見えてきました。

『Ⅴ えりもの遺跡 【42~57】』

写真42

42.この時点で午前11時、昼食をとるにはまだ早いので、水分補給だけして『本町市街』を通過し、襟裳岬方面へと向かいます。

 なお、この日の気温は約6度、暑さで額から汗がしたたり落ちて、荷物が重くなっても「パーカー」を脱いでリュックにしまいます。

写真43

43.そして、本町市街から数kmほど東にある『東歌別遺跡』付近に到着。

写真44

44.ここは、主に「続縄文時代(約2千数百年前~7世紀頃)」の遺跡であり、海岸段丘の先端の地にあり、東歌別土器・大狩部式土器・恵山式土器等を出土したとのことです。

写真45

45.さて、次なる遺跡は「東洋遺跡」であり、アップダウンが続く襟裳岬方面への道を【南東進】し続けます。

 正直、「昨日の疲れ」がたまっており、更に暑さで疲労が重なり、この時点で自転車を上り坂で漕ぐ力は残っていませんでした・・・・

写真46

46.その後、ようやく『東洋遺跡』付近に到着。

 航空自衛隊の「レーダー基地」付近が、その遺跡となっています。

 ここは、主に「縄文時代・中期(約5千年前~約4千年前)」の遺跡であり、この時期は大規模な集落が作られたとのことなので、景色を見ただけで頷けます。

 また、ここからは主に「各時期の土器や竪穴住居址」を出土したとのことです。

写真47

47.なお、この「レーダー基地の歴史」は、昭和21年に米軍が襟裳岬付近でレーダー監視業務を始め、昭和33年に米軍がこの基地(駐屯地)を航空自衛隊に移管したとのことです。

 明らかに東西冷戦期の「旧ソ連」を意識して造られたものだと思われますが、残念ながら現在は、その「相手国」が増えてしまっているのが現状だと・・・・

写真48

48.さて、レーダー基地の前を通過して、「東の太平洋側」への下り坂を【東進】します。

 なお、次なる遺跡は、この「下り坂」の右手(南側)にあります。

写真49

49.そして、『えりもB遺跡』付近に到着。

 ここは、主に「縄文時代・後期(約4千年前~約3千年前)」の遺跡で、海岸段丘の地にあり、主に「竪穴住居址群」を出土したとのことです。

写真50

50.さて、半島の東側の太平洋沿いを走る道道に合流、次なる遺跡は数km北にある百人浜付近の『苫別遺跡』ですが、この時点で大変に疲れ・暑さで喉はカラカラ・お腹も空いて、完全に「戦意を喪失」していました。

 ここから北側の「苫別遺跡」へ向かうか、それとも、南側の食堂等のお店がある「襟裳岬」へ向かうか、答えは自転車の方向が示す通りです。

写真51

51.「苫別遺跡」には、次の機会(があるかどうか分かりませんが)に訪れることに・・・・

 緑化事業で植えられた森以外に何も無い原野の中を、「飲み物・食料」を求めて、襟裳岬へと【南進】します。

写真52

52.襟裳岬の約1km程北にある岬市街に到着し、『襟裳神社』前を通過します。

写真53

53.そして、ようやく「襟裳岬の関連施設」が見えてきました。

 最後の力を振り絞って、「上り坂」を這い上がります。

写真54

54.やっとのことで襟裳岬の駐車場に着きますが、この付近に1軒だけあるお店が、何とネット情報と異なり「今年の営業を終了」、自動販売機ですら営業終了の状態です。

 ここで、お腹を満たすために「味噌ラーメン」でもいただきたいと思っていたのですが・・・・

 食事は諦めたものの、喉の渇きは我慢出来ないので、先ほど通った襟裳神社付近の「商店」まで、(自転車はもう懲り懲りなので、)歩いて戻ることに。

写真55

55.しかし、商店すら何故か閉店の状態、自動販売機でわずかに販売されていた「サイダー」で、襟裳岬を眺めながら乾杯、喉の渇きを癒やします。

 汗だくの体を岬の強い風で冷やそうとしましたが、残念ながらこの日は「無風」の状態です。

 以前、本シリーズ「第22章の伊能忠敬編」で、11月下旬に当地を訪れた際は、暴風が吹き荒れて、1分でも屋外にいると「凍死」しそうな状態だったので、本当に同じ所かと思ってしまいます。

 なお、この時の気温を後ほど調べると、「約5度」だったとのこと。

写真56

56.日向ぼっこしながらバスを待ち、車を駐車している「旧様似駅」行きのバスで引き返します。

写真57

57.最後に、太平洋に沈む「夕日」を車窓から眺めながら、今回のサイクリングは終了です。

【以上、サイクリング距離 推定約100km (岬付近のウォーキング距離 約2km)】

(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」

★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)

1~5 (PNG 53.3KB)

二風谷写真

様似写真

浦河写真

静内写真

イザベラ写真

★第6章~第10章 (2021年10月~11月)

6~10 (PNG 50.1KB)

新冠写真

襟裳岬写真

北海道開拓の村写真

三石写真

荻伏・東静内写真

★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)

11~15 (PNG 61.5KB)

日高市写真

オバケ桜写真

すずらん写真

14章 (JPG 42.3KB)

15章 (JPG 45.3KB)

★第16章~第20章 (2022年8月~10月)

16~20 (PNG 67.7KB)

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18章 (JPG 50.3KB)

19章 (JPG 46.3KB)

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★第21章~第25章 (2022年11月~12月)

21~25 (PNG 50.8KB)

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25章 (JPG 42.9KB)

★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)

26~29 (PNG 124KB)

26章 (JPG 42.5KB)

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(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!

ブララブヒダカ写真

(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」

【当該サイトの主な掲載内容】

  1. 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
  2. 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
  3. 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
  4. 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
  5. 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
  6. 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
  7. 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
  8. 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
  9. 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
  10. 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
  11. 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
  12. 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
  13. 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
  14. 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
  15. 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
  16. 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」

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