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【全体のイメージ】
【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】
『Ⅰ 日高の歴史的文化活用資源リストとは 【1~3】』
1.「日高の歴史的文化活用資源リスト」とは、平成10年(1998年)当時の堀知事が、「市町村訪問ふれあいトーク」で旧静内町を訪れた際、「地域の歴史と文化を学ぶこと」が話題となったのをきっかけに、当時の日高支庁環境生活課が中心となり作成したものです。
平成13年(2001年)には、当該リストを掲載した上の「日高の歴史的文化活用アイデア集」を発行しています。
詳しくは、「下記ポータルサイトの1」をご覧いただければ幸いです。
2.それから約20年後の令和3年(2021年)4月、当該リストを一部加筆修正し、次のとおり「国道沿いにある資源リスト」を、西から東へ順に並べたものを当課HPに掲載しています。
「1.【優駿浪漫街道(国道235号線)】沿いの歴史文化資源 巡覧!」(日高門別~新冠~静内~三石~浦河)
「2.【とんがりロード(国道336号線等)】沿いの歴史文化資源 巡覧!」(浦河~様似~えりも)
「3.【沙流(さる)ユーカラ街道(国道237号線等)】沿いの歴史文化資源 巡覧!」(日高門別~平取~日高)
3.さらに同年11月には、上記と同様、「道道沿いにある資源リスト」を並べたものを、当課HPに掲載しています。
なお、この道道沿いの巡覧は、主に札幌方面からの訪問を想定、スタート地点を日高自動車道「日高厚賀IC」とし、おおまかに「m字型のコース」となっています。
しかし、新冠以東に住む私にとっては現実的ではなく、勝手にスタート地点を新冠市街とし、おおまかに「n字型のコース」へと変え、このたび、前回の第22章と同様に(折りたたみ)自転車に乗って、「各歴史文化資源」を写真撮影することにします。
『Ⅱ 道の駅サラブレットロード新冠 【4~7】』
4.以上、「前置き」が長くなり申し訳ございません。
さて、今回のスタート地点の新冠市街にある『道の駅サラブレットロード新冠』にやってきました。
当施設前には、当地出身で1970年代に第一次競馬ブームを巻き起こした「ハイセイコーの馬像」があります。
なお、本シリーズ「第18章の東京近郊編」では、国内主要競馬場の「中山競馬場」を訪れていますが、そこにも同馬像があるとのことです(現地に行った際には失念していました・・・・)。
5.また、当施設の周辺には「馬蹄形の石碑」が多数ありますが、競馬の素人の私は、これまで特段注意をはらってこなかった次第です。
6.このたび、同石碑の「説明看板」が近くにあるのを発見。
なお、看板に記載はありませんが、同石碑について更に調べると、各石碑は新冠が生んだ「名馬(中央G1勝利馬)」を称えるもので、その数は何と60以上もあるとのことです。
さて、この後、「馬像や馬碑」が多数ある箇所を順次訪れる予定ですが、JRAのHPによると、「競馬の殿堂」と称して、中央競馬の発展に貢献した馬を「顕彰馬」として選定しているとのことなので、これからは、その顕彰馬の「馬像や馬碑」を中心に写真撮影することにします。
7.ちなみに、各石碑の中から、上記の「顕彰馬」を探すと、ハイセイコーの他に次の4つを見つけました。
左上が「ナリタブライアン」、朝日杯・皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念で勝利。
右上が「トウカイテイオー」、皐月賞・東京優駿・ジャパンカップ・有馬記念で勝利。
左下が「スピードシンボリ」、春の天皇賞・2回の有馬記念で勝利。
右下が「タケシバオー」、春の天皇賞で勝利。
さて、これから当地を後にし、約2km程北西にある「サラブレット銀座駐車公園」まで、自転車で向かうことにします。
『Ⅲ サラブレット銀座 【8~19】』
8.『サラブレット銀座駐車公園』に到着。
なお、「サラブレット銀座」とは、同公園から約8km程北へ延びる道道の左右に、サラブレット牧場が広がる区間の愛称です。
本シリーズ「第6章の新冠編」では、私はこの区間を車で走っていますが、このHPは「スポーツ振興」も目的にしており、このたび自転車で走ることで、第6章の雪辱を果たしたいと思います。
9.なお、同公園の西側には、昭和27年(1952年)の十勝沖地震の際に、泥水等の噴出活動があった「新冠泥火山」がありますが、ここも馬牧場の一部となっているようです。
10.サラブレット銀座を自転車で【北進】すると、途中、左手(西側)に「新冠牧馬場跡」の石碑看板がありますが、説明は「第6章の新冠編」で行っているので省略させていただきます。
11.更に、サラブレット銀座を自転車で【北進】して『優駿記念館』に到着。
当地で余生を過ごした「名馬オグリキャップ」を中心とする民間展示施設ですが、本年は既に開館終了とのこと。
なお、施設前には「オグリキャップの馬像」があります。
12.また、施設横には「名馬のお墓」が多数あります。
なお、オグリキャップもJRAの「顕彰馬」であり、G1勝利は、2回の有馬記念・マイルチャンピオンシップ・安田記念とのことです。
13.更に、近くには「ナリタブライアンのお墓」もありました。
競馬の素人の私には、「オグリキャップとナリタブライアン」のどちらが凄いのか、正直なところ分かりません。
戦績を調べると、前者は32戦22勝、後者は21戦12勝とのことで、共に凄いと思いますが、「やはり前者」ということになるのでしょうか・・・・
14.その他、素人の私でも聞いたことがある「マヤノトップガンの墓」もありましたが、何故かJRAの「顕彰馬」には選出されていません。
15.その後、サラブレット銀座の北端まで行くと「ディマシオ美術館の看板」があり、同美術館でパスタでもいただきたいと思ったところですが、往復約40kmもサイクリングする必要があり、行くのを断念します。
しかし、当地から約2km程北に、別の「歴史文化資源」があるので、そこまでは向かうことにします。
16.そして、お目当ての『新冠聖フランシス教会』に到着。
アイヌの父と呼ばれた「ジョン・バチュラー」が、アイヌの人々への伝導を目的に、明治31年(1898年)に創設したとのことです。
17.さて、これから自転車で【東進】して、丘陵を越えて「新ひだか町静内」へと向かいます。
18.標高100mか200mか分かりませんが、苦労してようやく「丘陵の頂上付近」に到着。
この後はずっと下り坂で、ジェットコースターで滑り落ちるように(ブレーキをかけながら)、更に【東進】し続けます。
19.途中、右手(南側)に「静内平野?いや、静内盆地?」の馬牧場の風景が見えました。
『Ⅳ 二十間道路桜並木 【20~32】』
20.そして、あっという間に二十間道路桜並木の中間地点の『静内農業高校』付近に到着。
ここから、南北に延びる「二十間道路桜並木」を【北進】することにします。
21.本シリーズ「第4章の静内編」で、桜の開花時期に一度車で訪れている二十間道路桜並木。
なお、近くには当並木の「説明看板」がありましたが、端的に説明すると、皇族方の行啓道路として造成された延長約8kmの道路とのこと。
22.これまで私は、この桜並木を車でしか走ったことがなく、初めて自転車で走ってみると、終点が全く見えず、改めて「もの凄いもの」が造成されたと感じました。
「 うん。(斜里町の)天まで続く道よりも凄い! 」
23.その後、ようやく桜並木の北端に到着し、お目当ての「歴史文化資源」が見えてきました。
24.「第4章の静内編」でも訪れていますが、皇族や政府高官の貴賓舎として明治44年(1911年)に建てられた『龍雲閣』です。
なお、例年「しずない桜まつりの期間」に一般公開されますが、コロナ禍においては、残念ながら公開中止となっています。
25.また、戦前の「新冠御料牧場」が、昭和22年(1947年)に「農林水産省所管新冠種畜牧場」となり、平成2年(1990年)には『独立行政法人家畜改良センター新冠牧場』となって、(ここは、静内の地ですが、)近くにその庁舎があります。
26.さて、上記3の「道道沿いの巡覧」では、この先、更に北にある「静内ダム」まで向かうことになっていますが、同ダムへの道は現在工事中で、残念ながら・・・・行くことが出来ません。
従って、この桜並木の北端で引き返すこととし、「全長約8kmの桜並木の南端」まで、【南進】することにします。
27.途中、明治の静内開拓を描き、テレビドラマにもなったとされる『お登勢の碑』があります。
なお、しずない桜まつりの期間中に私が訪れた際は、この付近は「駐車禁止区間」だったので、同碑の撮影が出来なかったところです。
28.そして、「桜並木の南端」に到着。
自転車で走ってみると、やはり【南進】する方が「ゆるやかな下り坂」となっているようで、北進するよりも楽でした。
なお、この桜並木は多くの賞?に輝いているため、「それを称える碑」が多数ありました。
29.さて、この南端付近で、私が競馬の素人であるが故に、「一度も訪れたことが無かった箇所」を訪れることにします。
30.『 桜舞馬公園(オウマイホースパーク!) 』
31.公園の中心には、「テスコボーイ」という馬の像がありましたが、正直サラブレットにしては体型がちょっと・・・・と思いました。
しかし、この馬について調べると、成績はそれなりの英国競走馬であったものの、昭和42年(1967年)に日高軽種馬農業組合が「種牡馬」として輸入し、その後は大きく成功したとのこと。
「産駒」として、私も聞いたことがあるキタノカチドキ・トウショウボーイ・その他多数いるとのことです。
32.また、公園内には多数の馬のお墓があり、その中でJRA顕彰馬の「タイキシャトルのお墓」を見つけました。
タイキシャトルと聞いて、十勝の大樹町出身かと思いましたが、後で調べると、馬主が「大樹ファーム」という所とのことで、所在は浦河町とのこと。
よくよく考えて見ると、大樹町では「乳牛とチーズ工場」しか見たことがありません。
(残念ながら、私は「ロケット」を見たことはありません・・・・)
『Ⅴ 静内から新冠へ 【33~40】』
33.その後、二十間道路桜並木の入口となる「大門」を通過、道道静内中札内線に沿って静内市街へと更に【南進】します。
34.途中、「第4章の静内編」でも訪れている「御殿山」という丘陵に立ち寄ります。
上の写真は、徳島藩淡路の家老で、静内開拓の祖といわれる「稲田家」代々の祖先の霊社を静内に移した『稲基神社』であり、ここで「参拝」させていただきます。
35.また、当地付近は江戸時代のシャクシャインのライバル?であった「オニビシ」が討ち取られた地であり、更には「縄文時代の墳墓群」として、道の文化財に指定されている地でもあります。
36.その後、静内市街の北東端にある、東洋一の競走馬のセリ市場とされる『日本軽種馬協会北海道市場』に到着。
なお、当市場のHPによると、令和4年の「当市場の売上高」は約165億円、対前年比約14%増とのことで、全国の競馬の売上自体が絶好調なので、それを反映していると思われます。
(最近、世界的な原材料費の高騰で、酪農業は「大苦戦」とのニュースは聞きますが・・・・)
37.そして、静内市街の住宅街を自転車で【南進】し、「大型商業施設」が集中するエリアに到着。
なお、上記3の「道道沿いの巡覧」では、この先、更に東の三石・浦河方面へと向かうことになっていますが、この時点で午後2時、まだ、昼食もとっていない状況なので、当地以東へ進むことは断念することに・・・・
ここで、「ドーナツと暖かいコーヒー」でもいただきたいとの誘因にかられますが、一度休むと、再度自転車を漕ぐのが嫌になりそうなので、車を駐車している新冠市街まで戻ることにします。
38.太平洋沿いの国道235号線(優駿浪漫街道)を、前回の「第22章の伊能忠敬編」の時とは逆の方向へと【西進】します。
39.そして、本日のスタート地点「道の駅サラブレットロード新冠」に無事到着!
40.最後に「優駿の塔」の展望台で、日高山脈の主峰『幌尻岳』を眺めながら(雲に隠れていましたが)、道の駅で購入した「ホロシリ牛乳」(コーヒー味しか売れ残っていませんでした)で乾杯して、今回のサイクリングは終了です。
【以上、サイクリング距離 推定約45km】
(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」
★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)
★第6章~第10章 (2021年10月~11月)
★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)
★第16章~第20章 (2022年8月~10月)
★第21章~第25章 (2022年11月~12月)
★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)
(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!
(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」