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【全体のイメージ】
【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】
『Ⅰ 門別本町市街 【1~13】』
1.今日は、日高管内の西端にある、日高町(平成18年合併前の旧門別町)の「門別本町」にやってきました。
上の写真は、昨年4月に正式に廃止されたJR日高線の『旧日高門別駅』です。
駅舎の中には、JR日高線の面影を残す「各種展示や町民サロン室」があります。
2.JR日高線の鵡川以東が廃止された直接の理由は、「波浪による線路の被災」ですが、この旧日高門別駅以西は被災を受けておらず、物理的には当駅までは運行継続可能でした。
しかしながら、運行を再開をしても、「多額の赤字による地元負担」が求められるため、残念ながら廃止となりました。
3.さて、旧日高門別駅の近くには、「町の主要機関」が立ち並んでいます。
右側が「日高町役場」(旧門別町役場)・真ん中の赤い建物が「門別公民館」・左側の白い建物が「日高町商工会館」です。
4.また、日高町役場の東隣には「門別郵便局」があり、振興局の史料によると、初代局長は、道内で初めて民設の馬牧場を開いた「岩根静一氏」とのことです。
なお、同氏は、小説「お登勢」の登場人物のモデルにもなったとのことです。
5.さて、今日はこの門別本町をスタートし、同市街から約5kmほど西にある、同町のもう一つの大きな市街地の「富川市街」を通過後、更に西にある「門別競馬場」を目指して、ウォーキングすることにします。
まずは、門別本町を流れる「日高門別川」を渡って、市街地を一旦【東進】します。
6.近くには、同河川の「名前の由来」を説明する看板がありました。
ちなみに、道内の「地名の由来の書籍」を見ると、複数の説が記載されており、もどかしく感じることが多いのですが、この看板では端的に説明されています。
なお、同名の河川は、日高管内では「東静内」にもあり、同名の地名は、オホーツク海側にある「紋別市」が有名です。
7.更に市街地を【東進】し、国の登録文化財の「飯田家住宅主屋」の正面に到着。
かつて、「飯田信三氏」という方がいて、同氏は彦根藩から移住し、明治時代に駅逓取扱になったり、函館との航路を開いたりと、日高の発展に貢献した方です。
なお、日高管内の図書館では、「同氏の伝記と思われる書籍」をよく見かけます。
8.さて、市街地の南東側に行くと、当地の代表的な神社である『門別稲荷神社』があります。
9.振興局の史料によると、この神社の創建の年代は不明とのことですが、江戸時代末期に、沙流場所請負人「山田文右衛門氏」が造営に関与したとあります。
10.当神社の横には、「同氏の碑」があります。
日高支庁百年記念誌によれば、同氏は「日本産業史上画期的なこと」を行ったとのことです。
11.それは、かつて当地には、あまり昆布が繁殖していなかったので、海に石を「投石」することにより、昆布を繁殖させたとのことです。
なお、上の写真にある漁港は「門別漁港」ですが、この付近に投石をしたのでしょうか。
12.さて、それでは国道235号線(優駿浪漫街道)をひたすら徒歩で【西進】し、まずは約5kmほど西にある「富川市街」を目指すことにします。
13.門別本町市街の北側に行くと、国道沿いに『門別農業協同組合』があります。
なお、私は農政について詳しく知らないのですが、過去の歴史を見ると、1989年に門別町と同町厚賀の農協が合併して「門別農業協同組合」となり、一方、同町西側の富川農協は、2015年に平取町農協と合併して「びらとり農業協同組合」となっており、複雑なものとなっています。
『Ⅱ 門別本町~富川 【14~20】』
14.さて、門別本町市街を少し離れた所に、日高管内のみならず、全道的に有名な「おそば屋さん」があります。
私は、日高地方とは全く関係ない「道内の別の地方」でも、このお店の噂を聞いたことがあります。
なお、このおそば屋さんは、これから向かう「門別競馬場」の中にも出店しているとのことです。
15.その後、門別本町・富川の両市街地の中間地点にある『門別温泉とねっこの湯』に到着。
町の郷土史によれば、1999年に「開設」されたとのことです。
なお、私は、まだ日高地方に縁もゆかりも無かった札幌在住時に、この温泉に入ったことがありますが、当時の素朴な疑問として、どうして「市街地から離れたこの地」に当施設があるのか、疑問に思ったのを今でも覚えています。
また、日高赴任後に初めて知ったのですが、この施設の中には、「運動用のプール」もあるとのことです。
16.なお、同温泉の前には、「門別地区マップ」の看板がありました。
当初、地図右側をスタートし、現在は「赤色の現在地」にいて、その後は沙流川を越えて、地図左側の「門別競馬場」を目指しているところです。
17.ちなみに、とねっこの湯の西隣には、「門別総合町民センター」及び「スポーツセンター」があります。
町の郷土史によれば、当施設の建設は、町の永年の懸案事項であったものの、門別本町と富川との誘致合戦の末、1978年に「両市街地の中間地点」に建設されたとのことです。
18.なお、スポーツセンターの西隣には、「子供用公園」があります。
最近ニュースで、当地方に子供用公園が少ないとの理由で、当公園を「リニューアル」した旨報道されたのを覚えていましたが、確かに昨年までとは変わったように思えました。
また、左側の白い建物の中では、高齢者の方々が「ゲートボール」を楽しんでいました。
19.さらに、スポーツセンターの南隣には、「門別中央パークゴルフ場」があります。
起伏に富んだコースで、見るだけでも「心が和む」思いがします。
20.さて、国道235号線を更に【西進】すると、国道歩道のすぐ南側に、聞いたことがあるようなフレーズの「大きな看板の牧場」がありました。
あとでネットで調べると、本部は千葉県にあるものの、この牧場は、競馬のことを良く知らない私でも知っている「シンボリルドルフ」他、各名馬を産出したとのことです。
『Ⅲ 富川市街東 【21~30】』
21.なお、私は事前の下調べで、「胆振・日高地方を題材にした雑誌」を見ていましたが、そこに掲載されていた、サイクリスト等の方が利用出来る「自転車カフェ」が、富川市街入口にありました。
22.国道を更に【西進】すると、北側に『富川神社(大神神社)』が見えてきたので、これから向かうことにします。
23.振興局の史料によると、江戸幕府から警備を命ぜられた仙台藩士が、「塩釜神社」の祭神を白老に勧請して奉ったものを、その次男が門別移住の際の明治初期に、白老から遷した神社とのことです。
24.さて、富川神社の東隣には、1971年(昭和46年)操業の「北海道日高乳業(株)の工場」があります。
町の郷土史によると、かつて昭和20年代には、この付近に「雪印乳業(株)や不二家乳業(株)の工場が操業」とあり、この地域は乳業が盛んであったと推測されます。
25.この場で、ここまで来る道中に購入した「同工場産の乳製品」をいただくことにします。
「 うん、十勝産の乳製品よりもうまい! 」
26.その後、国道を更に【西進】すると、すぐに「高野山真言宗 日高寺」との大きな看板があったので、向かうことにします。
なお、私は「高野山」には、一度行ったことがありますが、天空の高台の上に仏教都市があるようで、今でも記憶に残っています。
27.この『日高寺』は、明治時代後期に開基された「説教所」が始まりで、大正時代初期に公称が認可されたとのことです。
また、振興局の史料によると、大正時代に安置した「日高寺八十八カ所霊場」があるとのことですが、実際には、平成に入ってからの「新八十八カ所霊場」がありました。
28.さて、国道を更に【西進】すると、「札幌方面門別警察署」があります。
なお、日高管内の「警察署の歴史」を見ると、1878年(明治11年)に「札幌警察署幌泉(現えりも)分署」設置、1888年(明治21年)に「浦河警察署」設置されて、静内・沙流・三石・様似・幌泉に分署設置、1923年(大正12年)に「静内警察署」独立、そして戦後の1948年(昭和23年)に「門別地区警察署」設置となります。
こうして見ると、日高地方の開拓当初の交通機関は「航路」が中心で、水産業が盛んな東部から発展し、「陸路」が発達にするにつれて、道央に近い中部・西部が発展していったということが見て取れます。
29.なお、門別警察署の北西側には、見慣れた『門別図書館郷土資料館』があります。
この地から、平取町までの約15kmがフットパスとして整備されており、本シリーズ「第5章のイザベラ・バード編」で、私は実際にウォーキングしています。
ここからは、第5章の時とは逆向きで【西進】し、「富川市街の中心」へと向かいます。
30.日高管内一長い河川の沙流川を渡る途中、同河川の西隣にある『さるがわせせらぎ公園』が見えました。
この公園では、毎年10月下旬に、同町特産の「ししゃもに関するお祭り」が開催されるとのことですが、過去2年間はコロナ禍のため中止となり、私は同お祭りを見たことがありません。
本当は、そのお祭りが開催される日に、当地をウォーキングしようと思っていたのですが、「天候等がどうなるのか分からないので」、この日にウォーキングすることにした次第です。
『Ⅳ 富川市街西 【31~37】』
31.さて、沙流川を渡ると、富川市街の「中心部」に入ります。
なお、当市街の北側は、日高管内有数の米どころとなっており、当日高町に「地酒」があるとのことなので、酒屋に寄って購入することにします。
32.上の写真が、後に訪れた「門別競馬場」で撮影した、同町地酒「日高彗星」です。
私はアルコールに弱く、特に日本酒は後に残るのですが、自宅に帰って少し飲んでみると、甘さと辛さが同居したような、「すっきりした味」でおいしかったです。
33.その後、国道を更に【西進】し続けると、「大型商業施設」が集中するエリアとなります。
余談になりますが、奥に見える「赤色の看板のスーパー」は、実は私が日高地方に縁もゆかりも無かった札幌在住時代によく利用したスーパーです。
札幌の夏は、日高地方とは比べものにならないほど暑く、特に冷房が無い上に断熱効果が高いマンション等に住むと、24時間トータルで考えたら、「東京等より暑い日々」を過ごすことになります。
自宅が札幌南IC近くにあり、当地まで「高速道路で約1時間」で来ることが出来たので、夏は札幌より10度近く涼しく感じる当地付近の海辺に、よく涼みに来ていた次第です。
34.さて、本日の当初の予定は、ウォーキングは富川市街までが限界だと思い、富川市街からは「バス」で門別競馬場へ向かう予定でしたが、次のバスまでだいぶ時間があり、余力もあったので、当初の予定を変更し、「門別競馬場」までウォーキングし続けることにします。
35.前回の「第16章の沙流川中流散策編」では、8月下旬の炎天下の中で平取町をウォーキングし、意識が朦朧とした旨記述しましたが、当時の気温は約25度でした。
この日の気温を後ほどネットで調べると、「約20度」とのことで、汗まみれになりながらも、気温が約5度低ければ、だいぶ楽だと感じた次第です。
なお、現在自宅のある浦河町では、最高気温が25度を超えることはまずなく、完全に体が「涼しさ」に慣れてしまっています。
36.さて、国道を更に【西進】すると、自動車や農機具の販売店が点在する中で、「競馬に関するショップ」がありました。
中を覗くと「カントリー風のお店」で、競馬ファンが喜びそうなグッズが多数販売されていました。
37.国道を更に【西進】すると、いよいよ門別競馬場用に「車線が片側2車線」となって、ゴールは近いと感じました。
『Ⅴ 門別競馬場 【38~53】』
38.そして、やっと『門別競馬場』の入口に到着。
39.私は、この競馬場には、競馬未開催日に車で訪れたことがありますが、「競馬開催日」に訪れるのは、この日が初めてでした。
「徒歩者専用のゲート」があったので、ここから中に入ります。
40.中に入ると、競走馬が走る「トラックと同じ目線」で、スタンドまで歩くことになります。
なお、私は競馬を「直に観戦」するのは、この日が初めてです。
41.そして「スタンド」に到着しますが、まだレース開始前なので誰もいません。
42.上の写真は、スタンド奥にある「競馬場の案内図」の看板です。
43.まず、「パドック」という所で、競走馬を間近に見ることが出来ました。
44.なお、この競馬場は、道営の「ホッカイドウ競馬」が開催される競馬場であり、ホッカイドウ競馬の「オフィシャルグッズショップ」がありました。
こんなに素晴らしい娯楽施設があるのに、ここの競馬場は「平日しか開催」しないので、平日に勤めがある人は訪れることが出来ず、非常に残念に思います。
なお、この日は私は「休暇日」でした。
45.更に、近くには「小さな小屋」が並んでおり、以前訪れた際は、この小屋が何のためにあるのか分かりませんでした。
この日初めて知ったのですが、この小屋は、この競馬場の名物「ジンギスカン」を食べるためのものとのことです。
なお、私はジンギスカンは大の好物であり、実は、事前に「ジンギスカンの予約」をしていました。
46.この日は天気が良く、しばらく休んで火照った体も冷やされたので、屋外で「2~3人前のジンギスカン」を一人でいただくことにします。
第一レースを告げるファンファーレが鳴りましたが、私は「肉を焼く」方に一生懸命です。
近頃、スーパーでジンギスカンを購入しようとしても、大幅に「値上がり」をしており、最近は中々食べられないでいました。
余談になりますが、「道内」のスーパーならどこでも、また、オレンジ色のコンビニでもジンギスカンは購入出来ますが、「道外」だと私が知る限り、どのスーパーでもジンギスカンは販売しておらず、改めて北海道に住んでいて良かったと感じます。
47.さて、ジンギスカンにすっかり満足した私は、スタンドに戻り、「第2レース」を観戦することにします。
上の写真は、第1レース開始前のものですが、この競馬場は1997年(平成9年)に開場した日本で最も新しい競馬場であり、地方競馬場の中では「最大規模の大井競馬場に並ぶ大きさ」を誇るとのことです。
実際に競走馬が走るのを想像すると、短距離レースというよりは、完全に「長距離レース」のマラソン場のように感じられました。
48.第2レースのスタートにあたり、どこに「スタートゲート」があるのか分からなかったのですが、大型ビジョンの後方の死角にあったようで、既にスタート!
その後、競走馬が砂埃を上げながら自分の目の前を「迫力あげて疾走」して行きますが、この日初めて見たのが、中継車?が競走馬を追いかけるように一生懸命走る様子です。
なお、この時点で私は、「ゴール」が何処にあるのか分からないでいました。
49.しかし、ゴールはやはり「大型ビジョン」前付近であり、トラックを約4分の3周したことになります。
後ほどレース表を見ると、このレースは「1,200m走」であったとのことです。
50.サラブレットたちが繰り広げる熱い闘いを間近で見学し、興奮した私は、手に持った「門別特産のししゃも」を食します。
「 うん。鵡川産よりもうまい! 」
しかし、実際に「ししゃもの包装」を見ると、残念ながら門別産のものではありませんでした。
51.ましてや、途中の「静内にある○円ショップ」で購入したものだとは、口が裂けても言うことが出来ません・・・・
なお、上の写真は、この日の私の「門別シリーズの夕食」ですが、当地でししゃもが捕れるのはこれからの秋の時期なので、写真のししゃもは、前述のスーパーで購入したカラフトししゃもです。
取り繕うわけではありませんが、「東隣の町のRの湯」の温泉施設に宿泊した際、朝食のバイキング料理で一番人気が高かったのはししゃもでしたが、別の日に宿泊した際には朝食にししゃもが無く、別のお客さんが「ししゃもが無い・・・・」と嘆いていたのを今でも記憶しております。
また、ししゃもでライバル関係にあると思われる、「西隣の町のSの館」の温泉施設に宿泊した際、夕食はそれなりに豪華な品々が出されたものの、メインディッシュのししゃもが、大がかりな炭火焼きに対して2尾しか出されず、改めて「地元ししゃもは高価なもの」と感じた次第です。
52.さて、レースを終えて感心したのは、競走馬達がこれまで自分達が疾走したトラックを「逆に引き返し」、賢くトラックから去って行く様子です。
なお、この後、まだまだレースを観戦したかったのですが、残念ながら「バスの時間」に限りがあります・・・・
次のバスを逃すと、その次のバスが来るのは「約3時間後」です。
53.後ろ髪を引かれる思いで、『門別競馬場前バス停』で門別本町方面行きのバスに乗り、今回のウォーキングは終了です。
【以上、ウォーキング距離 推定約11km】
(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」
★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)
★第6章~第10章 (2021年10月~11月)
★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)
★第16章~第20章 (2022年8月~10月)
★第21章~第25章 (2022年11月~12月)
★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)
(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!
(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」