★日高文化歴史散歩 「第16章 国の文化財(名勝等)巡り(及びアイヌ古式舞踊・チプサンケ) 沙流川中流散策編 【1~54】!」 2022年(令和4年)8月下旬

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【全体のイメージ】

道南地方

【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】

『Ⅰ 歴史の散歩道(北側) 【1~15】』

写真1

1.今日は、主に本シリーズ「第1章のアイヌ文化の聖地編」で訪れている、平取町の『二風谷アイヌ文化博物館』にやってきました。

写真2

2.上の写真は、二風谷地区南側の二風谷ダム前にある「地図の看板」です。

 第1章では、二風谷ダムから沙流川沿いにあるピンク色の「歴史の散歩道」を【北進】、アイヌ文化博物館の周辺を散策後に、二風谷ダムまで戻っています。

 しかし、第1章で心残りだったのが、「歴史の散歩道」を最後まで歩くことが出来なかったことです。

 従って今日は、アイヌ文化博物館をスタート地点とし、「歴史の散歩道」の未踏箇所を【北進】し、その後、更に沙流川沿いを【北進】し続け、沙流川沿いに「数箇所ある国の文化財」(名勝等)を順次訪れることにします。

写真55

2-2.なお、「第1章のイメージ」は上のとおりですが、詳しくは下記をクリックしてご覧いただければ幸いです。

写真3

3.さて、「歴史の散歩道」には、第1章でも触れましたが、各分野で活躍した「偉人9人を讃える記念碑」が所々に立てられています。

 改めて、アイヌ文化博物館の周辺を一周して、新たに4人の偉人の「記念碑」を発見しました。

 左上が北海道の名付け親として有名な「松浦武四郎」、右上がアイヌの口承文芸ユカラを世界的に有名にした「金田一京助」、左下がアイヌ民族文化の理解や普及に努めた「ジョン・バチラー」、右下がユカラの伝承者として有名な「金成マツ」の碑です。

写真4

4.さて、それではここから、未踏の地である「歴史の散歩道の北側」を【北進】することにします。

写真5

5.まず、アイヌ文化博物館の北隣にある『二風谷湖公園』に到着し、南側を眺めると、「歴史の散歩道」のスタート地点である「二風谷ダム」が見えました。

写真6

6.また、同公園内で、新たに偉人の「記念碑」を発見しました。

 択捉島に「大日本恵土呂府」(えとろふ)の標識を建てるとともに、現在の広尾・えりも間の「ルベシベツ山道」の開削や、平取町の「義経神社」の元となる義経公の像を安置したとされる「近藤重蔵」の碑です。

写真7

7.更に【北進】すると、「野外ステージ」がありましたが、ここでも、新たに偉人の「記念碑」を発見しました。

 開国間もない日本で、横浜から平取まで旅行した「イザベラ・バード」の碑です。

 なお、同氏の足跡中、富川~平取間がフットパスとして整備されており、本シリーズ「第5章の奥地紀行編」で、私も実際にそのフットパスを歩いています。

写真8

8.さて、更に「歴史の散歩道」を【北進】すると、森林の中に入りました。

写真9

9.そして、しばらくすると森林を抜けて、右手(東側)に「軽種馬牧場」が見えてきました。

写真10

10.その後、前方に大きな「展望台」が見えてきました。

 一体何の展望台かと思いましたが、看板を見ると、擦文文化の遺跡として有名な『カンカン2遺跡』の展望台のようです。

 しかし、残念ながら、展望台は「立入禁止」となっていました。

 

写真11

11.更に「歴史の散歩道」を進むと、国道237号線(沙流ユーカラ街道)との合流地点が見えて、無事ゴールとなります。

 

写真12

12.しかし、今回の「ウォーキング」は更に続きます。

 国道237号線を少し【南進】すると、「びらとり温泉」の看板が見えたので、寄り道することにします。

写真13

13.坂を登って【東進】すると、平取町の代表的な温泉宿泊施設である「ゆから」に着きます。

 みついし昆布温泉蔵三をはじめ、全道各地で温泉宿泊施設を運営している会社が経営しており、この「ゆから」はグレードが高いとの印象がありますが、残念ながら私は宿泊したことがありません。

 なお、町の郷土史によれば、「びらとり温泉」自体は、昭和54年(1979年)に開設されたとのことです。

写真14

14.なお、当施設の前には、今はやりの「グランピング施設」が新たに開設されていました。

 

写真15

15.また、当施設の南側には、「二風谷ファミリーランド」の景色が広がっています。

 各種スポーツ施設の他に、立派に整備された『オートキャンプ場』もあります。

『Ⅱ 国選定の重要文化的景観 【16~23】』

写真16

16.その後、国道237号線を【北進】して、「看々(かんかん)橋」という橋を渡ります。

 橋の途中に『パーキングエリア』がありました。

写真17

17.パーキングエリアの西側には、『オプシヌプリ』と呼ばれる山があります。

 夏至の前後約10日間は、太陽が「山のくぼみ」にすっぽり入るとして有名で、私はこの山の存在は知っていたものの、何処にあるのかは今回初めて知ったところです。

写真18

18.その後、更に「国道237号線」をひたすら【北進】し続けます。

 なお、この日の天気予報は全道各地で晴れであり、「強い日差し」が降り注ぎ、既に私はこの時点で大変疲れていました。

 昨年、東京オリンピックが開催されましたが、マラソンを始めとする「炎天下の中のスポーツ」は、大変危険だと感じた次第です。

写真19

19.しばらく歩いて、ようやく「次なる目的地」に到着。

 『二風谷ダム管理橋』の入口です。

写真20

20.当該橋からは、沙流川の見事な景観を眺めることが出来ますが、この日は先日の大雨の影響からか、残念ながら「通行止め」となっていました。

 どうせこの日は、先日の大雨で川が濁っていると、「イソップ童話のキツネ」のように考えます。

写真21

21.なお、上の写真は、以前に当該橋から撮影した「沙流川下流」の景観です。

 

写真22

22.また、上の写真は、以前の秋の季節に、当該橋から撮影した「沙流川上流」の景観です。

 ここは、沙流川と額平(ぬかびら)川の合流地点であり、アイヌの人達の「礼拝の対象」にされたとのことです。

 なお、申し遅れましたが、平取町の沙流川流域は、道内で唯一、国の文化財の中の「重要文化的景観」に選定されています。

 名称は、「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」です。

 

写真23

23.さて、更に国道237号線を【北進】し、額平川に架かる『額平橋』から、上記の合流地点を眺めます。

 やはりこの日は、残念ながら川は「濁って」いました。

 

『Ⅲ 国指定の名勝 【24~34】』

写真24

24.さて、ここから国道237号線を離れて【東進】、国の文化財の中の「名勝」に指定されている「オキクルミのチャシ及びムイノカ」の景観を見にいくことにします。

写真25

25.すぐに『荷負(におい)バス停』に着きます。

 実は、上記名勝を見学した後、更に当地から約10km程北にある別の名勝を見学するため、ここからは「バス」に乗る予定でした。

 しかし、その「バスの発車時刻」まで、この時既に30分を切っていました。

 なお、当地から「オキクルミのチャシ及びムイノカ」の景観までは約1.5kmあり、小走りで行けば間に合うかもしれませんが、果たして先に進むか、とどまるか、その決断は・・・・

 

写真27

26.敵前逃亡・・・・いやいや「勇気ある撤退!」

 以前、車で訪れた地を、わざわざ炎天下の中で「汗まみれ」になって走って行っても・・・・いや、バスは一日4本しかないので、万が一乗り損ねたら予定が大幅に狂ってしまいます。

 路線バスに乗る方が「楽しそう」だし・・・・いや、地域の足である公共交通機関は、積極的に利用しなければなりません。

 結局、炎天下の中で30分近く立ったまま路線バスを待ち続け、実はこのような事態に備えて「折りたたみのイス」を持参していたのですが、暑さで意識が朦朧とし、そのイスの存在すら忘れていました。

写真26

27.なお、上の写真は、以前撮影した『オキクルミのチャシ及びムイノカ』の景観です。

 ここは、アイヌの人達の文化神オキクルカムイの夫婦が住んでいたとされる居城等とのことで、平成26年(2014年)に国の「名勝」に指定されています。

写真28

28.さて、バスの中の冷房で涼み、約10分後に『幌毛志中央バス停』に着きます。

写真29

29.すぐ近くに、次なる「名勝」の看板があり、国道237号線から右側(東側)の小道へ入ります。

写真30

30.そして、すぐに「目的地」に到着。

 国立公園化が予定されている日高山脈の主峰であり、日本百名山にも選定されている『幌尻岳の視点場』です。

 

写真31

31.詳細は、「上記看板」に掲載されています。

 なお、このようなことを打ち明けると、日高地方の関係者に怒られるかもしれませんが、私は高校生まで道外で過ごしましたが、中学校2年生の時の地理の定期テストで、北海道の地図の中央南側に縦線が引いてあり、「この山脈の名前は?」との問題が出題されました。

 幼少の頃から地理に興味があり、また、親戚の多くが北海道にいた自分にとってたわいもない問題でしたが、何の魔が差したのか、六花亭の坂本直行氏が頭をよぎったのか、何の疑問も持たずにさらりと「十勝山脈」と回答してしまいました・・・・

写真32

32.当時の地理の先生が、たまたま北海道(音威子府)出身の若い女性だったから、という訳では全くありませんが、今でも「屈辱的なエラー」として忘れることが出来ません。

 なお、上記写真で「幌尻岳」は、中央の一番高い山です。

写真33

33.その後、「幌毛志中央バス停」から、車を置いてある二風谷アイヌ文化博物館まで、バスで引き返すことにします。

写真34

34.約25分後に、二風谷アイヌ文化博物館の近くにある『資料館前バス停』に到着。

 駐車場に置いてある車に戻り、本日のウォーキングは「終了」・・・・のはずでした。

『Ⅳ アイヌ古式舞踊 【35~41】』

写真35

35.しかし、駐車場へと向かう途中、博物館前のコタン(集落)にあるチセの前で、「報道陣」を始め、多くの人達が集まっており、一体何をしているのだろうと思いました。

写真36

36.アイヌ文化情報センター(二風谷工芸館)の入口には、ポスターで「チプサンケ8月21日」とあります。

 「8月21日?・・・・何と今日ではないですか!」 (わざとらしいですが・・・・)

 

写真37

37.なお、当工芸館の中を覗くと、アイヌ工芸の第一人者と目される方による「木彫り体験」が行われていました。

 なお、この工芸館の中では「二風谷イタ」(木製のお盆)「二風谷アットシ」(織物)が販売されていますが、両者は、道内で初めて平成25年(2013年)に、経産省の「伝統的工芸品」に指定されています。

 経産省の悪口を言う訳ではありませんが、十年以上前に職場の先輩職員が、「経産省は、他県よりも北海道は歴史が浅いとして、中々、伝統的工芸品の指定をしてくれない」と嘆いていたのを思い出します。

写真38

38.さて、「チプサンケ」とは舟おろしの儀式ですが、チセの中で、関係者のみでカムイノミ(神への祈りの儀式)が行われていました。

 その後、チセの外に関係者が現われて、多くの報道陣が「カメラ」を向けていました。

写真39

39.カムイノミの終了後、「アイヌ古式舞踊」が披露されるとのことで、多くの方が中央広場に集まってきました。

 なお、私はこれまで「アイヌ古式舞踊」を実際に見学したことがあるのは、白老の国立博物館ウポポイを訪れた時のみです。

 

写真40

40.この日は、「札幌ウポポ保存会」の方々が訪れているとのことで、まずは、同会の方々による様々な古式舞踊が披露されます。

写真41

41.その後、「平取アイヌ文化保存会」の方々による様々な舞踊が披露されました。

 なお、日高管内7団体のアイヌ古式舞踊は、それぞれ「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。

 また、申し遅れましたが、アイヌ文化博物館等の展示物等は、「北海道の二風谷および周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」として、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

『Ⅴ チプサンケ 【42~54】』

写真42

42.さて、アイヌ古式舞踊の披露が終わり、これから沙流川で「チプサンケ」の儀式が行わます。

写真43

43.「チプサンケ」が行われる場所まで、無料のシャトルバスが運行されるとのことなので、乗車します。

写真44

44.現地に着くと、トラックから「丸木舟」を下ろす作業が行われていました。

写真45

45.なお、近くには「チプサンケ」について説明する看板がありました。

写真46

46.その後、ここでも「カムイノミ」が行われ、その様子を多くの報道陣がカメラに収めていました。

 なお、私が後ほどテレビで見た限りでは、NHKがこの時の様子を「全国ニュース」で放送しています。

 

写真47

47.一方、岸の上では、一般の方が「舟に乗る準備」をしていました。

 なお、私は事前の下調べで、「舟が転覆」する様子をテレビ局の動画で見ていたので、カメラを濡らすわけにもいかず、乗船は諦めていました。

(そもそも、偶然出くわした行事を事前に「下調べ」していたとは、自分でも説明出来ません。) 

写真48

48.まず、一番安定していると思われる舟に、「子ども達」を優先して乗船させていました。

 

写真49

49.そして、一番目の舟が出航、「二番目の舟」がそれに続きます。

写真50

50.しかし、私が気が付いた時には、二番目の舟が「転覆」していました。

 なお、乗船した方々は、事前に転覆に関する「同意書」にサインをしているようでした。

写真51

51.転覆した舟の体制を立て直し、再び「出航」。

 どうやら、この舟を安全に運行させるには、乗船者全員でバランスを取る「チームワーク」が必要のようです。

 なお、周囲の多くの方がカメラ撮影をしていましたが、何となく「転覆する瞬間」を撮影したい、との雰囲気が漂いはじめました。

 その時、地元の方と思われる方から「わざと転覆しろ!」と、冗談とも本気ともとれるリクエストの声が聞こえてきました。

写真52

52.しかし、その後は、舟は転覆することなく、次々と「約800mの下流」まで下っていきました。

 なお、この後のテレビニュースで初めて知ったのですが、この儀式は「安全を祈願」するものだとのことです。

写真53

53.さて、「チプサンケ」は、この後も2時間以上行われるとのことですが、私は満足したため、シャトルバスで帰ろうとしたところ、先ほどまであったシャトルバスが、何と既に発車していなくなっていました。

写真54

54.シャトルバスは3台あったものの、次のバスがいつ来るのか分からないので、第1章で歩いた「歴史の散歩道」を再び【北進】してアイヌ文化博物館まで戻り、今回のウォーキングは終了です。

【以上、ウォーキング距離 推定約10km】

(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」

★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)

1~5 (PNG 53.3KB)

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6~10 (PNG 50.1KB)

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11~15 (PNG 61.5KB)

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★第16章~第20章 (2022年8月~10月)

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★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)

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(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!

ブララブヒダカ写真

(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」

【当該サイトの主な掲載内容】

  1. 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
  2. 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
  3. 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
  4. 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
  5. 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
  6. 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
  7. 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
  8. 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
  9. 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
  10. 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
  11. 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
  12. 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
  13. 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
  14. 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
  15. 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
  16. 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」

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