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【全体のイメージ】
【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】
『Ⅰ 三石の内陸 【1~13】』
1.平成13年(2001年)に、当時の日高支庁環境生活課が中心となり作成した「日高の歴史的文化活用資源リスト」。
それから約20年後の令和3年(2021年)、当該リストを西から東へ順に並べた「4本のルート」を当課HPに掲載。
前回の第23章では、そのうちの「次の内陸沿いのルート」に従い、新冠から新ひだか町静内まで(折りたたみ)自転車でサイクリングしたところです。
2.さて、今日は「その続編」として、新ひだか町三石以東をサイクリングすることとし、スタート地点として『道の駅みついし』にやってきました。
なお、当地には本シリーズ「第9章の三石編」でも訪れています。
3.ちなみに、この道の駅には、名も知らない「小さな神社」がありますが、まずは、その背後(南側)にある丘の上へ登ってみることにします。
4.南側には「三石海浜公園」があり、その先にある太平洋を望みます。
なお、この日は西高東低の冬型の気圧配置、「真冬並みの寒気が南下」して気温は約2度、西北西の風約10mとのことで、丘の上に登ると一気に風が強く感じます。
5.一方、北側には「軽種馬牧場」があり、その先にある冠雪した日高山脈を望みます。
なお、「前々回の第22章」の11月下旬のサイクリングの時は、猛烈な風が吹きながらも気温は約10度、長袖を2枚着て終始汗だくの状況でした。
一方、「前回の第23章」の同じく11月下旬の時は、わすかな北風ながらも気温は約5度、長袖2枚の上にパーカーを着ても、気温5度の差は大きく、終始寒かったところです。
今回は、前回の反省を活かし、長袖を5枚着て「きっちり防寒対策」。
6.さて、上の地図は、道の駅にある「周辺地図の看板」(上が南側)です。
今回はまず、現在位置から下側(北側)の「本桐市街」まで【北進】、その後に太平洋沿いの北側約3km付近をほぼ並行して走る「内陸沿いの道」をひたすら【東進】して、地図の一番左(東側)にある「JRA日高育成牧場」まで目指すことにします。
なお、この日は前述のとおり、西北西の「猛烈な追い風」が吹いており、ラッキーと感じたところですが、よくよく考えると、冬の浦河で強風が吹くのは、冬型の気圧配置の時が多く、決まって西風です。
7.さて、道の駅を後にして【北進】すると直ぐ、事前の下調べで初めて知った所ですが、「有名な乗馬施設」があります。
8.サラブレットの他に「ポニー」もいて、興味深そうにこちらを見つめていました。
9.その後、更に【北進】すると、こちらも初めて知ったのですが、「チャイナロック」という馬の像があります。
この馬について調べると、1960年に英国から輸入されて、種牡馬として活躍し、「産駒」として、JRAの顕彰馬のハイセイコーやタケシバオーの他、多数の名馬がいるとのことです。
10.そして、道の駅から約3kmほど北にある「本桐市街」に到着。
右側にある建物は、『みついし農業協同組合』の建物です。
11.さて、本桐市街から約2kmほど西にある「歴史文化資源」へと寄り道します。
ちょっとした観光名所でもある『三石山円昌寺』です。
神奈川県大磯にあったものを、明治30年(1897年)に「当地に移設」したとのこと。
12.なお、ここまでのルートは「第9章の三石編」でも車で走っています。
さて、ここからが本番、写真の奥(東側)まで両側に軽種馬牧場が広がる「内陸沿いの道」を、ひらすら【東進】してサイクリングし続けます。
13.旧JR日高線とほぼ並行して走る「内陸沿いの道」。
上の写真のように、直線の一本道がずっと続くのであれば、太平洋沿いを走る国道235号線(優駿浪漫街道)の「バイパス道路」となり得るのですが・・・・
『Ⅱ 浦河の内陸 【14~20】』
14.その後、浦河町西端の荻伏地区付近を流れる「元浦川」を渡って、【東進】し続けます。
なお、奥にある冠雪した「山の名前」は、
分かりません・・・・
15.さて、この内陸沿いの道、荻伏以東は「道道静内浦河線」となりますが、幾度となく「アップダウン」が連続する曲者の道です。
上の写真の先にある上り坂は、『絵笛付近』となり、そこを越えれば浦河市街に到達しますが、自転車で上るとなるとかなり苦労することに・・・・
16.その後、やっとのことで絵笛の峠を越え、ようやく「浦河市街」が見えてきました!
17.ジェットコースターで滑り落ちるように(ブレーキをかけながら)、浦河市街の北西端にある『大型商業施設』が集中するエリアに到着。
さて、この時点で午後1時、ここで昼食をいただきたい所ですが、この季節は1年の中でも最も日暮れが早い時期なので、「昼食抜き」で先を急ぐことに・・・・
18.「道道静内浦河線」を少し【北進】すると、JR北海道バスの『向別(むこうべつ)バスターミナル』があります。
なお、札幌~浦河間の高速バスは、道南バスの「ペガサス号」が代表的ですが、ここのバス停からは、札幌~浦河間を途中ノンストップで結ぶ「ひろおサンタ号」が発着しています。
19.さて、その後、浦河市街の北側の山の中の「道道静内浦河線」をひたすら【東進】。
なお、この道は十勝・帯広方面からの天馬街道と、浦河市街西側とを結ぶ「ショートカットの道」となっていて、私は何度も車で走ったことがありましたが、車で走っても「上り下りが大変激しい」と感じる道です。
20.それを「自転車」で走るとなると、大変な苦労。
やっとのことで、標高千mにも感じた「峠の頂上付近」に到着。
ここで、「あられ」が降ってきました。
この日は、晴れたり・曇ったり・あられが降ったりと、目まぐるしく「天候が変化」していきます。
『Ⅲ 優駿ビレッジ 【21~27】』
21.そして、峠を越えると、あとはジェットコースターで滑り落ちるように(ブレーキをかけながら)、あっという間に、日高管内で一二を争う桜の名所「優駿さくろロード」の入口付近に到着。
なお、当地には、本シリーズ「第12章のJRA優駿編」でも、桜の開花時期に訪れています。
22.「優駿さくろロード」を【北進】すると、浦河町の代表的な宿泊施設である『優駿ビレッジAERU』があります。
競馬の素人であった私は、これまで全く気付かなかったのですが、当施設の前には、JRAの顕彰馬の「トウショウボーイの馬像」がありました。
23.上の写真は、近くの「説明看板」ですが、1970年代に活躍した馬とのことです。
24.その後、「優駿さくらロード」を更に北進すると、『JRA日高育成牧場』があります。
25.入口を入ってすぐ左手(西側)に、歴史文化資源の『メモリアルホール』がありますが、11月から3月までは冬期閉館とのこと。
当育成牧場やメモリアルホールについて、詳しくは「本シリーズ第12章」をご覧いただければ幸いです。
さて、この後は、出来れば当牧場の北側までサイクリングをして、丘の上から「牧場を一望」したかったところですが、日暮れが迫っている上に、私の体力も限界に近づいていたので、あえなく断念。
26.上の写真は、本シリーズ第12章で無料のシャトルバスに乗り、北側の丘で撮影した「当牧場の全貌」と浦河町の新名所「オバケ桜」の様子です。
今回は、メモリアルホールを北端とし、これから「太平洋側までサイクリング」することにします。
27.「優駿さくらロード」の入口付近まで引き返すと、来た時と異なり、晴れていました。
この付近にG1勝利馬の「ウイニングチケット」がいるのですが、第12章の時と異なり、複数頭いたため、どれがウイニングチケットか分かりません・・・・
『Ⅳ 浦河サラブレットロード 【28~36】』
28.第12章では、太平洋側の日高幌別から優駿ビレッジまで、通称「浦河サラブレットロード」を車で【北進】していますが、このHPは「スポーツ振興」も目的にしており、今回は自転車で逆方向に【南進】します。
優駿ビレッジを出て直ぐ南側に、「道道沿い巡覧」の最後の歴史文化資源である『西舎(にしちゃ)神社』があります。
なお、この神社は、毎年正月に「騎馬参拝」が行われるので有名です。
29.「浦河サラブレットロード」を更に【南進】すると、『伝説の五冠馬シンザン像』がある牧場があります。
30.第12章でも一度撮影していますが、これが「シンザン像」です。
なお、私個人的には、一生忘れることが出来ない像・・・・
31.像の下には、「五冠馬」の記述があり、1960年代に活躍したとされるシンザン。
競馬の素人の私の素朴な疑問として、1970年代に活躍したハイセイコーと、「どちらが凄いのかな?」と感じました。
32.「浦河サラブレットロード」を更に【南進】すると、『浦河町乗馬公園』があります。
ここで、「放し飼いの馬」と触れあおうと思いましたが、残念ながら冬だからなのか、屋外に馬はいませんでした。
33.そして、太平洋沿いの国道の北側にある浦河町の『馬事資料館』に到着。
ここで、「サラブレットの血統等」について改めて学び直します。
34.その後、馬事資料館の西側にある旧JR日高線の『旧日高幌別駅』に立ち寄ります。
35.上の地図は、旧駅前にある「周辺地図の看板」(上が南側)です。
これまでの道のりは、地図右側(西側)の「絵笛」から、浦河市街北西端をかすめて道道静内浦河線を【東進】、地図左側(東側)の「優駿ビレッジAERU」や「JRA日高育成牧場」を訪れた後、国道236号線(天馬街道)を【南進】して、地図左上の「現在位置」に着いた所です。
この先、地図右側(西側)の浦河中心街までサイクリングする予定でしたが、前述のとおりこの日は「猛烈な西風」が吹いており、以後は向かい風となるので、大変な思いをすると思われます。
36.そこで、ふと近くのバス停の時刻表を見ると、約10分後の15:30、「浦河中心街方面行きのバス」が来るとのこと。
「 ここで、サイクリングは終了! 」
当地に自転車を置き、現代の文明の利器、「路線バス」で浦河中心街を目指すことにします。
『Ⅴ 浦河から三石へ 【37~43】』
37.『浦河町役場』前のバス停で途中下車。
日高幌別よりも一層「風が強くなった」と感じました。
後ほど見たテレビニュースによると、この日の浦河町の「最大瞬間風速は約27m」だったとのことです。
38.浦河の中心で「凍死」するのではないか、と言ったらオーバーですが、防寒対策をしていると言っても、一番上に着ているのはコートではなくジャケットなので、これまで経験したことがない寒さを感じながら、「浦河町役場前の馬像」を撮影します。
この馬像について、これまで私は特段気にしてこなかったところですが、後ほど調べてみると、1989年度に開催された「第44回国民体育大会馬術競技会」を記念した作品とのこと。
39.なお、浦河町役場の東隣には、『日高軽種馬農業協同組合』がありますが、その庁舎前には「ヒンドスタン」の馬像があります。
シンザンの父であり、上記33の「馬事資料館」では、このヒンドスタンの剥製が展示されています。
40.更に、日高軽種馬農業協同組合の東隣には「浦河警察署」がありますが、「馬蹄型の珍しい案内板」があるので、ついでに記念撮影。
41.ところで、私の車は、この日のスタート地点の「道の駅みついし」に駐車したままとなっています。
当地で途中下車した後の約20分後、別のバスに乗り換えて、「道の駅みついし」へと車を回収しに戻ります。
42.そして、道の駅の中の「三石温泉バス停」で下車。
ここで、冷えた体を温めるため、温泉にでも入りたい所ですが、タオル等を持っておらず、それよりも今日は昼食抜きでここまで来たので、この際、過去幾度となく「食べ損ねてきたあるもの」をいただくことにします。
43.「 みついし牛 すき焼き鍋御膳(ご飯大盛り)! 」
これまで、ダイエットのため消費したカロリーが、「これで全てパー」などと言ってはいけません。
みついし牛で「心も体も温まり」、睡魔に襲われましたが、この日はまだやり残したことがあります。
日高幌別に置いてきた(折りたたみ)自転車を回収しに、再び車で「浦河以東へ」と【東進】し、今回のサイクリングは終了です。
【以上、サイクリング距離 推定約40km】
(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」
★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)
★第6章~第10章 (2021年10月~11月)
★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)
★第16章~第20章 (2022年8月~10月)
★第21章~第25章 (2022年11月~12月)
★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)
(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!
(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」