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【全体のイメージ】
【参考:北海道日高振興局管内の地図】
『Ⅰ 平取の遺跡から日高門別へ 【1~9】』
1.令和3年(2021年)の「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を機に、日高管内の主な縄文遺跡をまとめた次の写真集。
前々回の第25章では、そのうちの「日高中部(静内・新冠・三石)の遺跡」を12月中旬に、また前回の第26章では、「日高東部(三石・浦河・様似・えりも)の遺跡」を12月下旬に、それぞれサイクリングして回ったところです。
正直なところ、雪の少ない冬の日高地方の屋外をブラブラすることを先に決め、後付けで「テーマ(縄文遺跡を巡る)」を決めて始めたものですが、中部・東部と巡ったので、このたび、最後に「日高西部(平取・日高門別・新冠)の遺跡」を巡ることにします。
2.さて、今日は『平取町荷負(におい)』にやってきました。
なお、当地には本シリーズ「第16章の沙流川中流散策編」で、8月の炎天下の中、二風谷アイヌ文化博物館から約7kmほど北にある当地までウォーキングしており、当地からバスに乗り、更に北へと向かっています。
この付近に、縄文遺跡の「額平川2遺跡」があるので、再び訪れました。
3.遺跡は、沙流川と額平川の「合流点」付近にあり、額平川に架かる『額平橋』の北側を撮影します。
写真の右手(東側)付近が、「額平川2遺跡」となります
4.なお、上の写真は、以前に撮影したものですが、「額平橋」は写真右側、「額平川2遺跡」は写真中央付近となります。
ここは、主に「縄文時代・晩期(約3千年前~約2千数百年前)」の遺跡であり、平取町では他に類を見ない多さの遺物を出土、また、過去に「荷負ストーンサークル」が周知されるも、現在は何処にあるのか不明とのことです。
5.さて、今日は当地から「(折りたたみ)自転車」で、国道237号線(沙流ユーカラ街道)を【南進】する予定でした。
自宅がある「浦河」の他、途中の「静内」でも、12月以上にほとんど雪は見かけなかったものの、ここは内陸とあってか、雪が残っています。
この国道は、大型車が頻繁に行き交う道路で「危険」なので、残念ながら、当地からサイクリングするのは断念することに。
6.平取町荷負から10km以上南にある『平取本町』まで、車で戻って来ました。
ここまで来ると、だいぶ「雪が少ない状態」なので、ここに車を置いてサイクリングを開始します。
7.なお、平取町には、擦文時代(7~12世紀頃)の他、アイヌ文化期(13世紀以降)の遺跡は多数ありますが、上記1の写真集で取り上げている縄文遺跡は、「額平川2遺跡」のみです・・・・
しかし、浦河から約100km離れた「平取町」までせっかく来たので、当町からサイクリングすることとし、約10km以上南にある次なる遺跡、「門別富仁家(トニカ)盛土墳墓群遺跡」を目指します。
8.国道237号線を【南進】し、平取町南端から「日高町(門別地区)」へと入ります。
9.そして、日高町(門別地区)で一番大きな市街地『富川』で、太平洋沿いを走る「国道235号線(優駿浪漫街道)」に合流、左折して【東進】します。
『Ⅱ 日高門別西の遺跡【10~20】』
10.国道235号線を【東進】すると、左手(北側)に『富川神社』が見えて来ますが、ここで反対側の、右手(南側)の太平洋へと向かう道へと右折して【南進】します。
11.すると、すぐに『門別富仁家(トニカ)盛土墳墓群遺跡』付近に到着。
ここは、主に「続縄文時代(約2千数百年前~7世紀頃)」の遺跡であり、北海道を代表する墳墓群として「道の文化財」に指定されており、ネックレスと思われる琥珀玉を多数出土したとのことです。
12.さて、次なる遺跡は、当地から約10kmほど東にある豊郷付近の「エサンヌップ遺跡」ですが、その前に、当地から南の太平洋へと「寄り道」することにします。
13.約2kmほど【南進】して『富浜漁港』に着き、ここで【東進】します。
14.約1kmほど【東進】すると、舗装道路の終着となりますが、その先に見えるのは「シノダイ岬」です。
ここは主に「アイヌ文化期(13世紀以降)」の遺跡であり、『門別図書館郷土資料館』では、代表的展示物として、熊送りならぬ、当地の「メカジキの送り場の遺構」を復元した模型があります。
15.海岸から『シノダイ岬』を眺めますが、残念ながら満ち潮なのか「岩場」がほとんど見えず、普段はもっと「エメラルドグリーンの色」なのですが、何故か海水も濁っているようでした。
16.さて、シノダイ岬は行き止まりの地なので、これまでサイクリングしてきた道のりを「引き返し」、元の国道235号線へと戻ります。
17.そして、国道235号線を【東進】、富川市街と門別本町市街の中間地点にある『門別温泉とねっこの湯』に到着。
18.午前8時半に平取本町を出発し、「約20kmの道のり」をサイクリングして、午前11時に到着。
気温が上昇して汗ばんできたので、温泉施設前の産地直売所で「ソフトクリーム」をいただこうとしましたが、残念ながら閉店の状態。
よくよく考えると、冬の北海道で「産地直売所」は、中々営業していないと思われます。
19.ソフトクリームは諦めて、国道235号線を更に【東進】すると、『門別本町』市街の北側まで来ました。
20.そして、当地の代表的な神社である『門別稲荷神社』前を通過。
なお、本シリーズ「第22章の伊能忠敬編」では、当初は、当地から東へとサイクリングする予定でしたが、途中の「国道の幅員が狭い」ため、結局は新冠まで車で向かったところです。
それ以後、別の地で国道をサイクリングする「機会」がたくさんあり、慣れてきたため、今回は当地以東をサイクリングし続けることにします。
『Ⅲ 日高門別東の遺跡【21~29】』
21.途中、左手(北側)を望むと、日高地方らしい風景として、「サラブレット牧場と日高山脈」が見えました。
22.青い海・照りつける太陽の日差し・汗ばむ私、「完全に気分は真夏」です。
残念ながら、無いのは「ソフトクリーム・・・・」
なお、この時の気温を後ほど調べると、「約0度」だったとのこと。
23.そして、『旧豊郷駅』に到着。
ここで国道を左折して、「波恵(はえ)川」に沿った内陸の道を【北進】します。
24.内陸の道を【北進】して、平成30年(2018年)に日高門別ICから日高厚賀ICまで延伸された「日高自動車道」の下をくぐり抜けます。
25.なお、日高自動車道の北側には、同道を車で運転する際によく見かける「お城のような建物」がありました。
この際に何の建物なのかネットで調べると、競馬の素人の私でも聞いたことがあるような「サラブレット牧場の施設」のようです。
日高自動車道をドライブすると、この付近は「風光明媚な丘陵」が続き、例えて言うと、道外となりますが、山梨の勝沼ぶどう郷、又は海が見えるので、沖縄のカフェがある丘陵をドライブしているような雰囲気に感じます。
26.なお、前々回の第25章では、新冠で「四頭のサラブレット」が私に近づき、前回の第26章では、浦河町荻伏で「六頭のサラブレット」が私に近づいてきましたが、今回も「六頭のサラブレット」が近づいてきました。
しかし、今回は私を「警戒」しているようなので、この場を離れることに。
27.国道235号線から「波恵(はえ)川」の東側沿いの道を約3kmほど【北進】すると、西側へと渡る橋があります。
28.上の写真は、その「橋」から北側を撮影したものです。
川の右側(東側)の河岸段丘が、『エサンヌップ遺跡』付近となります。
ここは、主に「縄文時代・中期(約5千年前~約4千年前)」の遺跡であり、この時期は大規模な集落が多数つくられたとのことで、この遺跡も「竪穴住居址」を多数出土、その他に静内中野式土器他の様々な出土品があったとのことです。
29.上の写真は、両岸が林である「波恵(はえ)川」を西側から撮影したものですが、その奥(東側)にある丘陵が遺跡となります。
なお、ハエと聞いて思いつくのが、シャクシャインのライバル?であった「オニビシ」であり、ふとオニビシの本拠地が何処にあったのかと思慮しますが、残念ながら、詳しく調べたことが無いので分かりません・・・・
『Ⅳ 日高町厚賀へ 【30~38】』
30.さて、国道235号線へと戻り、最後の遺跡「大狩部遺跡」が日高町(門別地区)東端の「厚賀市街」の近くにあるので、【東進】し続けます。
国道の幅員が狭いのですが、幸いなことに現在は、「日高自動車道」が並行して走っており、この付近の国道はあまり交通量が多くありません。
なお、日高地方西側の「日高門別~新冠間」は、東側の「新冠~様似間」よりも集落が少なく、あったとしても、国道がバイパス化されているので、信号もほとんどありません。
31.そして、『旧清畠駅』の前を通過します。
32.その後、ようやく太平洋の先に「厚賀市街」が見えてきました。
なお、「厚賀」の地名の由来は、東隣の「厚別」と西隣の「賀張(かばり)」の両者の文字を取り、「厚賀」とした旨を何かの書籍で読んだ記憶があります。
33.厚賀市街の西側は、国道がバイパス化されているのか、そもそも国道は、市街地を通っていなかったのか分かりませんが、国道と並行して走る交通量の少ない右側(南側)の「市街地の道」へと向かいます。
34.厚賀市街の西側の「市街地の道」を【東進】し続けます。
大型車両が走らないので「一安心」です。
35.途中、『旧厚賀駅』の前を通過します。
36.その後、「市街地の道」は国道235号線へと再び合流。
37.その後、日高地方の自動車交通の要衝とも言える「T字路」があり、現在の日高自動車道の終点「日高厚賀IC」方面へ向けて、国道を左折して【北進】します。
38.そして、間もなく右手(東側)に、厚別川に架かる「幅員の狭い橋」があるので、東へと渡ります。
日高厚賀ICから新冠以東へ向かう場合、厚賀市街を通らずに「ショートカット」して、この橋を東へと渡る車が多いのが実状ですが、厚賀市街の交通量が減り、交通事故のリスクが減る一方、すれ違うのがやっとの橋なので、推奨出来るのか分かりません。
『Ⅴ 新冠の大狩部遺跡 【39~46】』
39.さて、厚別川を東へ渡ると、日高町厚賀から『新冠町大狩部』へと入ります。
目の前の左側(北側)の丘が、今回、最後に訪れる「大狩部遺跡」です。
40.新冠町では「エコミュージアム」と称して、各史跡に石碑を立てており、「大狩部遺跡」の石碑があります。
41.石碑の説明書きの通り、ここは主に「続縄文時代(約2千数百年前~7世紀頃)」の遺跡であり、「大狩部式土器」を初めて出土した遺跡です。
なお、前々回の第25章で訪れた「春立海岸遺跡」、前回の第26章で訪れた「白泉遺跡」「東歌別遺跡」でも、大狩部式土器が出土されています。
ちなみに、石碑の裏側に「丘へと登る道」があるので、今回初めて登ってみます。
42.丘を登って西側を望むと、「厚賀市街と厚別川」を一望することが出来ました。
さて、今回は車を平取本町に置いてきており、バスに乗って回収しに行かなければなりませんが、当地から平取行きのバスが「午後3時前」に発車します。
43.その発車時刻まで、あと約30分と少し余裕があったので、近くの見晴らしの良い高台の「喫茶店」でコーヒーでもいただこうとしましたが、残念ながら閉店の状態でした。
後でネットで調べると、「不定休」とのこと。
44.結局、この日は途中の自販機で「サイダーを1本」飲んだだけで、静内発平取行きのバスに乗り、車を置いてある平取本町まで戻ります。
45.最後に、車窓から太平洋に沈む「夕日」を眺めて、今回のサイクリングは終了・・・・
との「エンディング」は、第25章・第26章と全く同じとなり、これでは芸がありません。
46.せっかく平取まで来て、更に、再び戻って来たのですから、「同町特産品」をいただくことにします。
「 びらとり和牛ステーキ MAX300g! 」
これまでのサイクリングで消費したと思われるカロリー以上を得て、心も体も温まり、最後に浦河への帰途、「日高自動車道・厚賀市街ショートカットの橋・大狩部遺跡」経由で車を運転し、厚賀市街に置いてきた「(折りたたみ)自転車」を回収するのを、危うく忘れるところでした・・・・
【以上、サイクリング距離 推定約50km】
(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」
★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)
★第6章~第10章 (2021年10月~11月)
★第11章~第15章 (2021年11月~2022年8月)
★第16章~第20章 (2022年8月~10月)
★第21章~第25章 (2022年11月~12月)
★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)
(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!
(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」