★日高文化歴史散歩 「第13章 すずらんと山女魚の記憶 奥平取・山日高編 【1~65】!」 2022年(令和4年)6月上旬

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すずらん中略7 (JPG 131KB)

【全体のイメージ】

日高地方

【参考:北海道日高振興局管内の地図】

『Ⅰ すずらん群生地 【1~9】』

写真1

1.今日は、平取町北部の代表的な市街地である「振内(ふれない)地区」にやってきました。

 上の写真は、地域の特産品販売所やバスターミナルを兼ねた『山の駅ほろしり館』です。

写真2

2.同館の中を覗くと、「すずらん鑑賞会」(5月21日~6月5日)のポスターがありました。

 「何と、ちょうど今、開催中ではないですか!」 (わざとらしいですが・・・・)

 早速、同鑑賞会が開催されている「芽生(めむ)すずらん群生地」まで、車で向かうことにします。

 

写真3

3.当該群生地は、振内市街から南東へ「直線距離で約10km」の位置にあります。

 なお、途中の町営牧場に、同町特産でブランド化された「びらとり和牛」が飼育されているのが見えました。

写真4

4.また、群生地の一歩手前には、現在、建設中の巨大建造物である『平取ダム』が見えました。

 当該ダムについてネットで調べると、主に治水等を目的とした「多目的ダム」ということですが、長年に渡り建設反対運動が起こり、また、民主党政権時には工事が一時中断されたとのことです。 

 

写真5

5.さて、いよいよ『芽生すずらん群生地』に到着。

 なお、平取町と聞いて真っ先に思いつくのは「アイヌ文化」ですが、同町の観光パンフレットを見ると、表紙を飾っているのは「すずらん」です。

 また、同町内では「すずらんの里」との看板をよく見かけます。

写真6

6.この群生地は、約15haと日本一の広さとのことで、周囲に「鑑賞道」が整備されています。

 なお、平取町史を見ると、1957年(昭和32年)に「第一回すずらん祭開催」とあります。

 しかし、乱獲が激しいために一般公開を一時期中止、その後に「期間中のみ鑑賞会」として一般公開しているとのことです。

(なお、過去2年間はコロナ禍のため中止、私が同鑑賞会を訪れるのは、今回が「初めて」です。)

 

写真7

7.本日は土曜日であり、また、この鑑賞会は先週に「全道ニュース」で報道されたため、多くの観光客がいました。

写真8

8.大自然の中の新鮮な空気の中、「鑑賞道」を一周して散策します。

写真9

9.しかし、今年のすずらんは、近くの案内の方いわく、残念ながら冬の大雪の影響からか「花の数がとても少ない」とのことです。

 来年以降に「期待」します。

 

『Ⅱ 振内鉄道記念館 【10~16】』

写真10

10.さて、すずらん群生地を後にし、「振内市街」まで戻ってきました。

 上の写真は、同市街の代表的な歴史文化施設である『振内鉄道記念館』です。

 「旧国鉄富内線」が1958年(昭和33年)に(富内~振内間)で開業、1964年(昭和39年)には(振内~日高町間)で開業しましたが、残念ながら沿線人口減少等により、1986年(昭和61年)に廃止となっています。

 翌年、この記念館を駅舎跡に「新築・開館」し、旧富内線の歴史を伝える資料が展示されています。

(なお、町に「事前連絡」しないと、中を見ることは出来ません。)

写真11

11.旧駅ホーム上には、平取町内にあった四駅(幌毛志・振内・仁世宇・岩知志)の駅名板が再現されており、また、展示されている客車の中は「ライダーハウス」となっています。

写真12

12.客車のすぐ南側には、「D51蒸気機関車」も展示されています。

写真13

13.なお、同記念館の北側の線路の先に、何やら「農業施設」のようなものが見えます。

 実は、これは1990年(平成2年)に開設された「町民カーリング場」であり、初めて私がこの記念館を訪れた際には、全く気付きませんでした。

写真14

14.ちなみにこの翌日、旧振内駅から北西へ直線距離で約10kmの位置にある、胆振管内旧穂別町(現むかわ町)の『旧富内駅』を初めて訪れました。

(そもそも「旧穂別町」自体を訪れたのは、私は初めてでした。)

 なお、この旧駅舎は、「国の登録文化財」となっているとのことです。

 

写真15

15.この旧富内駅は、「鵡川沿い」の平地にあり、1923年(大正12年)に開業したとのことです。

 しかし、この鵡川沿いの旧富内駅から、沙流川沿いの旧振内駅までの「トンネル工事が難航」したため、平取町側の富内線開業が遅れたとのことです。

写真16

16.なお、同駅の南側には、当時の旧穂別町長の発案で作られたとされる「銀河鉄道をイメージした線路」がありました。

 旧振内駅とは、また「違った趣」を感じます。

 

『Ⅲ 沙流ユーカラ街道 【17~22】』

写真17

17.さて、振内市街を後にし、沙流(さる)川沿いにある「国道237号線」(沙流ユーカラ街道)を旧日高町(現日高町日高地区)へ向けて、車で【北進】することにします。

写真18

18.しばらくして、日高町に入るとすぐに『景勝橋』という橋があり、この付近で駐車します。

(なお、この付近で駐車出来る場所は、わずかに橋の北側にしかなく、また、交通量がとても多いところなので、「厳重な注意」が必要です。)

 

写真19

19.橋の右手(東側)には、発電用ダムの「岩知志ダム(岩内ダム)」が見えます。

 今年の冬の大雪により、雪解け水が多いためか、放水量が多くて「虹」を見ることができました。

写真20

20.また、橋の左手(西側)には、「見事な渓谷」が見えます。

 なお、振興局の史料によると、1913年(大正2年)に「沙流川左岸道路」として、平取町側から旧日高町側まで道路を開通させたとのことですが、駄馬がやっと通れる程度だったとのことです。 

 こんな渓谷の「危険な川岸」を、昔は歩いて旧日高町まで向かったのでしょうか・・・・ 

 

写真21

21.さて、国道を更に【北進】して、ほどなく『岩内不動の滝』という所に到着。

 今回、事前の下調べで初めて知ったのですが、旧日高町内には「歴史探訪~石の道しるべ」として、イロハニホヘトチと8箇所に「石をベースとした道しるべ」があり、ここは《 ロ.岩内不動の滝 》とのことです。

 これから「全8箇所の石の道しるべ」を目標にして、順次訪れることにします。

写真22

22.なお、この滝は、これから向かう日高市街にある「閑山寺」を開創した住職が、明治末~大正初期頃に、難路を行く旅人の安全を祈って、不動尊を祀ったとのことです。

『Ⅳ 日高市街 【23~50】』

写真23

23.更に国道237号線を【北進】すると、旧日高町の「日高市街の入口」とも言える国道274号線(石勝樹海ロード)との交差点に到着。

 今後の主な目的地は東側(右折)にありますが、「西側に1箇所だけ」寄りたい所があるので、まずはここで左折します。

写真24

24.左折するとすぐにコンビニがあり、その裏側(南側)に『旧富内線日高町駅(終着駅)跡』の石碑があります。

 かつての国鉄の駅は、「日高市街の入口付近」にあったことになります。 

 なお、旧富内線が具体にどこを走っていたのかネットで調べると、ほとんど「国道237号線」(沙流ユーカラ街道)沿いにあったようです。

 しかし、現在はほとんどその跡を見ることが出来ないので、橋を含めてほとんどの施設は、「撤去」されてしまったと思われます。

写真25

25.さて、旧日高町駅跡から国道274号線を【東進】し、日高市街の中心ともいえる『道の駅樹海ロード日高』に到着。

 ここで車を駐車して、「日高市街を散策」することにします。

写真26

26.まずは、道の駅にある「観光地図」を眺めます。

 これまでは、地図の左下から【北進】して左上へと行き、その後に、真ん中の「道の駅」(現在地)まで来ました。

 これからは、徒歩で【南進】して沙流川を渡って「沙流川オートキャンプ場」まで向かい、その後に沙流川の南側沿いを【東進】して「国立日高青少年自然の家」まで行き、その後に再度沙流川を渡り、今度は沙流川の北側沿いを【西進】して、道の駅まで戻って来ることにします。

 その後に日高市街を離れ、各歴史文化施設がある「千栄(ちさか)地区」まで、車で【東進】することにします。

 

写真27

27.まずは、道の駅周辺を散策すると、すぐ北隣に「日高山脈博物館」があります。

 同博物館のパンフレットを見ると、「太古から伝わる地球の鼓動を感じる」とあり、アンモナイトの化石の他に、日高山脈に関する豊富な資料の展示があります。 

 詳しくは、「下記のHP」をご覧下さい。

 

写真28

28.次に、道の駅の北西側に行くと、「日高図書館郷土資料館」があります。

 旧日高町の郷土資料の展示を行っており、特に当地は「林業」により発展したので、その展示が特徴的です。

 

写真29

29.更に、道の駅の西側に行くと、古くは1963年(昭和38年)に竣工した「旧日高町役場庁舎」(現在の日高町日高総合支所)、また、その南隣には「バスターミナル」があります。

 なお、申し遅れましたが、旧日高町は2006年(平成18年)に旧門別町と「飛び地合併」して、現在の日高町となっています。

 

写真30

30.バスターミナルの時刻表を見ると、南側(太平洋側)の「富川」へ向かうバスは1日3便しかないものの、(数年前までは富川経由の札幌行き直通バスがありました)、北側の「占冠駅」へ向かうバスは1日6便あります。

 地図で見ると、この地から上川管内の『JR占冠駅』までは約15kmという近さで、同駅からは特急列車に乗って札幌まで行くことが出来ます。

 なお、当地を最初に開拓した人達は、南側からではなく、北側の「占冠・金山(南富良野町)方面」から来た人達です。

 

写真31

31.さて、道の駅を離れて住宅街を【東進】すると、1911年(明治44年)総基という旧日高町最初の寺院であり、「22.の岩内不動の滝」の欄でも紹介した『閑山寺』があります。

写真32

32.その後、住宅街を【南進】すると、偶然「右左府村戸長役場跡」との標識を見つけました。

 なお、旧日高町(かつての日高村)は、かつては「右左府(うしゃぷ)村」の名でしたが、1943年(昭和18年)に日高山脈等の一般的によく使われている名称をとり、「日高村」(のちの旧日高町)へと改称した歴史を持ちます。 

 

写真33

33.さて、住宅街から道道へと出て、沙流川オートキャンプ場へ向けて【南進】すると、左手(東側)に「サッカー場」が見えてきました。

 「日高の森広場サッカー場」という名称で、1994年(平成6年)に開設され、コートが3面もあります。

 

写真34

34.更に【南進】すると、日高市街で一番大きな橋である『右左府(うしゃっぷ)橋』が見えてきました。

 なお、この手前の右手(東側)へ、数百mほど「寄り道」することにします。

写真35

35.さて、石の道しるべ《 ヘ.ウシャップ標柱跡 》を発見しました。

 1872年(明治5年)に道庁(当時は開拓使?)の命により、現在の平取町北部から当地を経て、現在の南富良野町の金山まで測量をした際、「標木を建てた地」とのことです。

 さきほどの沙流川の「大渓谷」を見ると、本当に頭が下がる思いです。

写真36

36.その後、「右左府橋」の橋上から、左手(東側)の『日高国際スキー場』を眺めます。

 札幌オリンピックが行われた1972年(昭和47年)に開設され、現在では「日高管内唯一の本格的なスキー場」ですが、残念ながら私は、一度もこのスキー場を滑ったことはありません。

(現在の運動不足の私が、頂上から滑ったら「体が壊れる」と思われます。)

 なお、日高管内では以前、「旧三石町」にもスキー場があったようですが、太平洋側で積雪が少なく、滑走時期が限られるため、廃止されてしまったようです。

写真37

37.その後、右左府橋を渡って『沙流川オートキャンプ場』に到着。

 とても大きなキャンプ場で、まだ、朝晩は寒いと思われるこの6月上旬でも、「多くの利用者」がいました。 

写真38

38.ちなみに、キャンプ場の沙流川沿いには、「遊歩道」が整備されていました。

写真39

39.そして、その遊歩道近くのキャンプ場内に、石の道しるべ《 ハ.ドッコイの渡船場跡 》を発見。

 1908年(明治41年)に私設された「沙流川の渡船場跡」であり、その後は公設となり、1913年(大正2年)に「右左府橋」が架橋されるまで運営されたとのことです。

写真40

40.さて、沙流川オートキャンプ場を後にし、日高市街の代表的な温泉宿泊施設の『ひだか高原荘』の前を通ります。

 なお、この温泉は「沙流川温泉」と呼ばれ、日高町史によると、1973年(昭和48年)に開発されたとのことです。

写真41

41.さらに沙流川南側を【東進】して、『国立日高青少年自然の家』に到着。

 かつて、文部省実施事業として全国に10箇所建設する「国立少年自然の家」が、道内の建設地として旧日高町が選ばれ、1982年(昭和57年)に開設されたとのことです。

写真42

42.同自然の家の裏側(東側)に行くと、石の道しるべ《 ホ.沙流川流送発祥の地 》を発見。

 1910年(明治43年)に王子製紙苫小牧工場が操業するのに先立ち、その前年に「坂本組」というところが、原木をこの地から太平洋側まで流送し始めました。

写真43

43.上記の話は、私も振興局の史料で知っていましたが、その「発祥の地」が、青少年自然の家の裏側にあるとは、今回初めて知りました。

 なお、川をせき止めて一度に流送したとのことですが、現在では「せせらぎほどの小川」(三号の沢川)しか見えません。

写真44

44.その後、昭和55年度の道補助事業との看板が掲げられた「歩道橋」を渡り、沙流川の北側へと向かいます。

写真45

45.途中、歩道橋の上から「沙流川の上流」(東側)を眺めます。

 なお、この沙流川は「日勝峠付近を源流」とし、太平洋へと注ぐ日高管内一長い河川です。

写真46

46.上の写真は、数年前に『沙流川源流付近』を撮影したものです。

 ちなみに、この付近の原始林は、1970年(昭和45年)に「国の天然記念物」に指定されています。

写真47

47.今度は、沙流川北側沿いの林道を【西進】して、「道の駅」方面へと戻ります。

 すると右手(北側)に、石の道しるべ《 チ.ウシャップラム古戦場跡 》を発見。

 かつて、この地で「東西のアイヌ」が戦ったとのことです。

 なお、一説によると、昔、道東のアイヌ民族が和人との交易を求めて西へと大移動をし、現在の振興局単位でいうと「日高 VS 十勝」「十勝 VS 釧路」の戦いが多かったとのことです。

写真48

48.さて、林道を更に【西進】すると、上記41の青少年自然の家の付属施設である『からまつキャンプ場』がありました。

 私は、このキャンプ場の名前は聞いたことがあったものの、「何処」にあるのかはこれまで知りませんでした。

写真49

49.林道を更に【西進】すると、さきほど歩いた道道への入口手前に、石の道しるべ《 ト.沙流川河畔遺物出土地帯 》を発見。

 この付近で、「縄文時代の遺物」が多数出土したとのことです。

 

写真50

50.さて、道道を【北進】して、「道の駅」まで戻ってきました。

 これから、車で国道274号線(石勝樹海ロード)を【東進】して、「千栄(ちさか)地区」へと向かうことにします。

 

『Ⅴ 日高町発祥の地 【51~61】』

写真51

51.車で約6kmほど【東進】すると、国道北側に『日高町発祥の地の碑』があります。

 岩手県出身のきこりの「目曲久助(めまがりきゅうすけ)氏」が、日露戦争勃発により銃床材のクルミを求めて、北側からこの旧日高町内まで来て、1905年(明治38年)に千栄(当時の千呂露(ちろろ))に初めて入植したとのことです。

写真52

52.さて、更に車で約2kmほど【東進】すると、国道北側に『千栄神社』があります。

 ここで、石の道しるべ《 イ.千栄神社本宮 》を発見。 

 これまで私は、この神社には何度か訪れていたものの、この「石の道しるべ」の存在には全く気付きませんでした。 

写真53

53.この神社は、旧日高町発祥の地である「千栄地区の守り神」として、1910年(明治43年)に創基されたとのことです。

 現在の本宮は、1921年(大正10年)に宮大工を迎えて建立した「本格的木造社寺」で、地域で最も古い建造物とのこと。

 

写真54

54.さて、千栄神社の一歩手前(西側)の未舗装の道路の先に、『ちろろルピガーデン』との看板がありました。

 私は、この名前を聞いたことがあったものの、これまで「何処」にあるのかは知らないでいました。

写真55

55.非常に手入れが行き届いた、「なんとも素敵なガーデン」です。

 まさか、「千栄神社のすぐ西隣」にあるとは、全く想像していませんでした。

 日高管内のガーデンといえば、浦河町の「ルピナスの丘」を思い出しますが、そのガーデンも体育館の裏に隠れたようにあり、両ガーデンとももっと多くの人に知ってもらいたいと思います。

写真56

56.さて、石のみちしるべについて、これまで上記のとおり、「21.ロ、35.へ、39.ハ、42.ホ、47.チ、49.ト、52.イ」(以上、イロハホヘトチ)と、7箇所訪れていますが、最後の「ニ」を求めて、『千呂露(ちろろ)橋』を渡ったところで右折し、町道を【南進】することにします。

 なお、このまま国道274号線(石勝樹海ロード)を【東進】し続けると、道内の自動車交通で一二の難所の「日勝峠」が待ち受けています。

写真57

57.ちなみに上の写真は、昨年、「日勝峠の頂上付近」(標高1020m)の十勝側から、十勝平野を撮影したものです。

 この峠は、1965年(昭和40年)に開通していますが、かなりの「難工事」であったと想像され、開通時の感動はひとしおであったと思われます。

 なお、事前の下調べで、「日高管内側」からも十勝平野を眺める場所があると知ったのですが、途中は砂利道であり、また、本日は時間も無いので、次の機会に訪れたいと思います。

 

写真58

58.国道を右折するとすぐに、「ラフティング等」を運営する団体があります。

 最近よく「アドベンチャーツーリズム」という言葉を耳にしますが、この日は大勢の人が集まっており、一体何のイベントを行っているのかと思いました。

 この日の夜の全道ニュースで初めて知ったのですが、3年ぶりに「沙流川でカヌー大会」を開催していたとのことです。

写真59

59.さて、1.5車線ほどの狭い町道をしばらく【南進】すると、最後の石の道しるべ《 ニ.三島小学校跡 》を発見。 

 大正7年に福島県の移住団が当地に入植、その後の太平洋戦争時に三井鉱山がこの地でクロームを採掘、三井と福島の二文字をとって「三島小学校」を開設したとのことです。

 日高管内でクローム鉱山といえば、かつての「平取町ニセウのもの」(日東鉱業)が有名ですが、この地でもクローム採掘をしていたと、このたび初めて知りました。

写真60

60.さて、以上で「石の道しるべ8箇所」を全て訪れたわけですが、この先に更に見所があるので【南進】し続けます。

 なお、こんな山奥と言っては大変失礼ですが、途中に日高町営バスの「バス停」がありました。

写真61

61.そして、その見所の『チロロの巨石』に到着。

 1966年(昭和41年)に当時の八鉱学園の理事長等が、ヒスイの沢という所から「この巨石」(重さ200トンの石英片岩)を搬出したところ、この場所まできて搬出を諦めたとのことです。

 以上、平取町振内地区をスタートしてこの地まで来るのに、大変長らくの時間がかかりましたが、まだ一つ「やり残したこと」があります。

(タイトル名に掲げ、同地域の特産品である「山女魚」・・・・)

 しかし、この日はもう日が暮れそうだったので、某広域自治体の助成事業(財源は国費)を使って、この付近の宿で「一泊」することとし、残りは明日にすることにします。

『Ⅵ 山女魚 【62~65】』

写真62

62.さて翌日、このエリアには数箇所の「山女魚の釣り堀」があり、そのうちの一箇所を訪れます。

 私が釣りをするのは、1990年代の札幌在住時、当時の門別町にあった「日高ケンタッキーファーム」を訪れ、釣った魚を塩焼きにして食べた時以来です。

写真63

63.百円で「釣り竿」を借り、タコの切り身のようなものを餌にして釣り糸を垂れます。

 物思いにふけながらゆっくり釣りをしようと思っていたのですが、すぐに「ヒット」しました。

写真64

64.釣り上げた山女魚が暴れ回り、口から針をとるのも難しく、再度釣り糸を垂れると、すぐにヒットするので、当初の想定に反して「大忙し」です。

 店の人から「4匹で約500g」になると聞いていたので、ちょうど4匹釣ったところで釣りは終了にしました。

写真65

65.わざわざ釣りをしなくても、お店で山女魚料理を味わうことが出来ますが、せっかく釣った魚なので、お店で「塩焼き」にしてもらいます。

 大自然の中で食べる塩味の山女魚はとてもおいしく、かつて日高ケンタッキーファームで釣りをした時と同じように、これから長らく「私の記憶」に残ると思います。

【以上、ウォーキング距離 推定約5m】

(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」

★第1章~第5章 (2020年10月~2021年10月)

1~5 (PNG 53.3KB)

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6~10 (PNG 50.1KB)

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11~15 (PNG 61.5KB)

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★第26章~第29章 (2022年12月~2023年3月)

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(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!

ブララブヒダカ写真

(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」

【当該サイトの主な掲載内容】

  1. 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
  2. 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
  3. 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
  4. 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
  5. 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
  6. 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
  7. 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
  8. 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
  9. 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
  10. 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
  11. 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
  12. 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
  13. 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
  14. 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
  15. 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
  16. 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」

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