★日高文化歴史散歩 「第7章 身近にある最果て感 幌泉・襟裳岬編 【1~50】!」 2021年(令和3年)10月下旬

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えりも中略7 (JPG 94.8KB)

【全体のイメージ】

日高地方

【参考:北海道日高振興局管内の7町の地図】

『Ⅰ 本町を東へ 【1~21】』

写真1

1.今日は、日高管内7町の中で一番東にあり、水産業が盛んな「えりも町」にやってきました。

 なお、上の写真は、JR北海道バスのバス停ですが、通称『えりも駅』と呼ばれています。

写真2

2.えりも駅の「時刻表」を見ると、襟裳岬方面の他・苫小牧直通便・札幌直通便等のバスが発着しているのが分かります。

写真3

3.さて、えりも駅の目の前には、えりも漁業協同組合の「直売店」があります。

 何か新鮮な魚介類を購入して、その場で食べようとお店の中に入りましたが、調理が必要なものが多いものの、「期間限定販売」と宣伝したものがあったので、購入します。

写真4

4.えりも町産「ミニトマトのジュース 150円(税込)」!

 (私の苦手な)トマトジュースは、前々回(第5章)の平取町で2度も飲んでおり、また、日高管内で「ミニトマト」の栽培が盛んなのは新ひだか町なので、えりも町にまで来てトマトジュースを飲むことになるとは想定外でした。

 なお、問題の味は、今回はじっくり飲んでみると、「少しジューシーな味」で後味も残らないものでした。

写真5

5.ちなみに、漁組直売店の北隣には「南部家橋」という橋があります。

 18世紀末のロシア南下政策に危機感を抱いた江戸幕府は、東蝦夷地(北海道の南半分)を直轄地とし、「南部藩(現在の岩手県)300人」を浦河以東に駐屯させたので、その名残ではないかと思われます。

 さて、今日はまず、太平洋沿いに細長く伸びる「えりも本町市街」を西→東→西とウォーキングで往復し、その後、この地から約15km程南東にある「襟裳岬」まで車で向かって、最後に「岬周辺」をウォーキングすることにします。

写真6

6.さて、えりも駅からスタートして【東進】すると、すぐに『灯台公園』があります。

 写真にある灯台は「幌泉灯台」で、明治24年(1889年)に初めて設けられ、その後に町の開発が進んで、この付近の灯台山が切り崩されて、この公園に設置されたものです。

 なお、この灯台は、令和元年(2019年)に「国の登録文化財」となっています。

写真7

7.更に【東進】すると、左手(北側)にえりも町の「飲み屋街」があります。

 この北側に「古い寺院」があるので、ここで【北進】します。

写真8

8.少し【北進】すると、「幌泉川」という川が流れていました。

 なお、説明が遅くなりましたが、江戸時代には当地付近は「幌泉」という地名であり、戦後の市町村名も「幌泉村→幌泉町」でしたが、昭和45年(1970年)に「えりも町」に改称したという歴史を持ちます。

写真9

9.更に【北進】して、明治13年(1880年)創基の『法光寺』に到着。

 なお、えりも町(かつての幌泉)は、江戸時代末期や明治時代初期の陸上交通がほとんど無い時代でも、水産物を求めて「航路」により入植した人が多く、日高管内の中でも古い歴史を持つので、「お寺や神社」が他町よりも多いと思われます。

写真10

10.また、法光寺の北隣には、明治19年(1886年)創基の『善生寺」があります。

写真11

11.その後、元の町道に引き返して【東進】すると、平成7年(1995年)竣工の立派な建物の『えりも町役場庁舎』があります。

 この建物の4階に「展望室」があるので登ってみます。

写真12

12.展望室の南側には、「えりも港」の全体の様子が見えます。

 かつては、幌泉漁港でしたが、昭和40年(1965年)に「地方港湾」に昇格して、幌泉港(のちのえりも港)となりました。

 

写真13

13.さて、えりも町役場の北東隣には、古くは文化11年(1814年)創基、えりも総鎮守の『住吉神社』があります。

 本殿までの「参道」は長い登り坂となっており、これまで私は近くの町道を使い、車で登っていましたが、今回初めて歩いて【北進】します。

写真14

14.本殿に到着すると、幼稚園児と思われる「子供達」が遠足に来ていました。

 なお、余談になりますが、北海道のみならず日本の現在の最大の懸案事項は「少子高齢化」だと思いますが、以前見た統計資料によると、えりも町の「合計特殊出生率」は全道179市町村の中でナンバーワンでした。

(理由は調べていないので分かりません・・・・が、札幌や東京等の人口が集積する「大都市の出生率」が極端に低いのは、明らかに問題だと思います。)

写真15

15.その後、本殿の東側にある「脇道」を【東進】し続けます。

写真16

16.すると、「NTT東日本えりも電話交換所」が見えてきます。

 当町の電信の歴史は古く、明治17年(1884年)に太平洋側の日高地方を通り、当時の先進地の根室まで「電信線」が架設され、当町に電信取扱所が開設されたとのことです。 

写真17

17.その後、丘を下って【南進】すると、地図で「ふれあいの丘団地」と記載された住宅街の横を通り過ぎます。

 ベランダから「太平洋が一望」(オーシャンビュー)出来ると思われるので、羨ましく感じました。

写真18

18.そして、役場前を東西に走る町道まで下ると、『えりも町福祉センター』があります。

 施設の中には「図書室や研修室等」があり、実質、当町の中央公民館とも言える施設です。

 

写真19

19.さて、町道を更に【東進】すると、『えりも小学校』に着きます。

 立派な外観で歴史も古く、振興局の史料によると「明治10年(1877年)開校」とのことです。

写真20

20.その後、引き続き【東進】すると、『郷土資料館ほろいずみ・水産の館』に着きます。

 外観以上に内部の展示が充実した資料館であり、詳しくは「下記のHP」をご覧下さい。

写真21

21.そして、市街東端の最終目的地である『えりも町スポーツ公園』に到着。

 西から東へ順番に、「野球場・運動広場・テニスコート・陸上トラック」と並んでいます。

 当初、一番東の陸上トラックまで行く予定でしたが、この時点で大変疲れていたので、「西へ引き返す」ことにします。 

『Ⅱ 本町を西へ 【22~26】』

写真22

22.これまで歩いた町道より、より海岸沿い(南側)を並行して走る国道336号線を【西進】して、「本町商店街」へと入ります。

写真23

23.途中、右手(北側)には、古くは安政5年(1858年)創基の『能入寺』が見えました。

写真24

24.更に【西進】すると、商店街の中でも「特に目立つ建物」が見えてきました。

 町で最も大きなスーパーの「さっぽろ生協」の他、「えりも漁業協同組合」が同居する施設です。

 ここで、12時を告げるチャイムが鳴ったので、近くのお店で「昼食」をとることにします。

写真25

25.水産の町のえりも町ということで、「海鮮丼」を注文します。

 1,500円と「格安」でした。

写真26

26.さて、本町商店街を後にし、いよいよ車で、最果て感がある「襟裳岬」を目指すことにします。

『Ⅲ 襟裳岬への道中 【27~33】』

写真27

27.えりも岬へ向かう途中、いくつかの「江戸時代に創基された神社」の前を通ります。

 上の写真は、安政6年(1859年)創基の『歌別稲荷神社』です。

 あと二つの神社前を通過しますが、創立した人は全て幌泉場所支配人の「杉浦嘉七」とのことです。

写真28

28.次に、弘化3年(1846年)創基の『歌露稲荷神社』の前を通ります。

写真29

29.その後、多くの「風力発電」が立地している地点を通ります。

 この付近は、地形上国内屈指の強風地帯であり、数社により「数十万kwの風力発電」を設置する計画があるとのことです。

 「脱炭素化・再生エネルギー導入」は世界の大きな潮流で、もはや日本や北海道も避けられない状況にあり、発電所の環境問題・送電線問題・発電設備の日本メーカーの大きな立ち遅れ等の様々な問題がありますが、個人的には頑張って欲しいと思います。

写真30

30.その後、更に【南東進】すると、丘陵の上に弘化3年(1846年)創基の『油駒稲荷神社』があります。

写真31

31.更に進むと、左手(北側)に「航空自衛隊のレーダー基地」が見えてきました。

 レーダー基地と言えば、東西冷戦時のサハリンにおける大韓航空機撃墜事件で「稚内の基地」が注目を浴びましたが、稚内の基地と同様の外観に見えます。

 レーダー基地を見ると、いよいよ「最果て感」を感じさせられます。

写真32

32.周囲にほとんど人工物が無くなり、「原野」が広がってきます。

 左手(東側)に「えりも国有林」との看板がありました。

 かつて、「開拓初期の頃」は、えりも町に限ったことではありませんが、森林を伐採しても木材を輸送する手段が無かったので、処分方法として燃やしていたこともあったとされます。

 えりも町の場合、漁業に使う木材需要がたくさんあり、森林がはげ山となってしまったので、戦後、長年にわたり緑化事業が行われ、その苦闘が、かつてのNHK番組「プロジェクトX」(主題歌は中島みゆきさん担当)で取り上げられていました。

 なお、その苦闘が近々「映画化」されると聞いています。

写真33

33.いよいよ「最果て感」がMAXになってきました!

 道内で「最果て感」を感じさせる場所として、道北のサロベツ原野・道東の根釧原野等が思いつきますが、この地は何を隠そう「道央(北海道の中央)圏」です。

(たまに「道南」に分類されることもありますが・・・・)

 札幌・新千歳空港・苫小牧港等から、一度も峠を越えること無く来ることが出来るので、「身近な最果ての地」だと思えます。

『Ⅳ 襟裳岬 【34~44】』

写真34

34.原野を通り過ぎると、最終目的地「襟裳岬」の駐車場が見えてきました。

写真35

35.駐車場には、「周辺案内図」の看板があります。

 まずは、右側(西側)から「メインの展望台」に向かった後、「岬の先端」まで行き(駐車場から約500m先)、反時計回りに一周することにします。

 なお、「日高山脈襟裳国定公園」とありますが、過去の歴史は、昭和25年(1950年)に「襟裳道立自然公園」に指定され、昭和56年(1981年)に「日高山脈襟裳国定公園」に指定されています。

 そして令和の時代となり、もう間もなく「国立公園」に指定される予定と聞いています。

 

写真36

36.なお、駐車場から岬の展望台までは地下回廊が整備され、悪天候でも岬を眺められるように、ガラス越しから岬を眺めることが出来る『風の館』という施設があります。

 詳しくは、「下記のHP」をご覧下さい。

 

写真37

37.今日は天気が良いので、海沿いの「地上の歩道」を通って、まずは展望台へと向かいます。

 

写真38

38.途中、右手(西側)を望むと、「荘厳な断崖絶壁」が見えてきました。

 奥に見える山は、様似町の「アポイ岳」です。

 なお、日本各地を測量して有名な「伊能忠敬氏」が、海岸線の測量のために日高管内には寛政12年(1800年)に訪れていますが、この襟裳岬までは辿り着けず、同氏から測量の教えを受けるとともに、間宮海峡を発見した「間宮林蔵氏」が、数年後に襟裳岬周辺を測量したとの説を聞いたことがあります。

 この断崖絶壁の上に大量の草木が生えていたら、この岬まで「徒歩」で辿り着くのは、並大抵のことではなかったと思われます。

 

写真39

39.さて、いよいよ「襟裳岬」が見えてきました。

 上の写真は、平成22年(2010年)に襟裳岬が国の文化財の中の「名勝」に指定された旨の碑です。

写真40

40.反対側(北側)に目を向けると、『襟裳岬灯台』が見えます。

 明治15年(1882年)に英国船が難破し、英国政府からの要請もあり、明治22年(1889年)に設けられ、当時は本道唯一の「一等灯台」であったとのことです。

写真41

41.さて、メインの展望台まで来ると、「襟裳岬」という同名異曲を歌った島倉千代子さん(右)と森進一さん(左)の「歌碑」が、並んで立てられているのが見えます。

写真42

42.上の写真は、襟裳岬の「メインの看板」ですが、写真撮影の際は、残念ながら岬の姿まで写すことが出来ません。

写真43

43.看板の南側から写真撮影を行うと、「このような景色」となります。

 北海道の背骨の日高山脈からの稜線が連なり、岬の沖合2kmまで「岩礁」が続き、さらにこの稜線は、深海深くの千島海溝と日本海溝の境付近まで続いています。

 まさに「最果て感」を感じさせる風景です!

 

写真44

44.なお、看板の隣には、平成18年(2006年)に「天皇・皇后両陛下」が当地を訪問されたことを記念して立てられた碑があります。

『Ⅴ 襟裳岬突端へ 【45~50】』

写真45

45.さて、展望台を後にして、いよいよ「岬の突端」まで徒歩で向かうことにします。

写真46

46.途中、後ろ(北側)に目を向けると、「展望台や風の館の施設」が断崖絶壁のはるか上にあるのが見えます。

写真47

47.「岬突端」に着き、通常だとさらに下に降りることが出来るのですが、この日は通行止めとなっていました。

写真48

48.岬先端には、かつての「襟裳神社」があるのが見えます。

 文化11年(1814年)創基の神社ですが、その後、岬北側の「岬市街」に移設されました。

写真49

49.上の写真が、現在の『襟裳神社』の様子です。

 

写真50

50.最後に「岬突端」から見た、襟裳岬の岩礁の様子の写真です。

 この岩礁を見て、次回は「朝日」を拝みに襟裳岬を訪れたいと思った次第です。

【以上、ウォーキング距離 推定約4km】

(巻末1)「【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカに係るポータルサイト(第1章~第29章)!」

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(超一括要約版)日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ(第1~29章:各章5コマ)!

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(巻末2)「【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!」

【当該サイトの主な掲載内容】

  1. 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
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  10. 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 ×2021年現在写真集!」
  11. 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
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  14. 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
  15. 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
  16. 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」

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