↑↑ クリックしてジャンプ ↓↓
【沙流(さる)ユーカラ街道等(国道237号線等)】
(巻 頭)各歴史文化資源 ◎最寄りの「バス停」一覧◎
【日高町(門別地区)🚏❾番】
→ 【❸富川市街】 → ❾平賀 →
【平取町 🚏❶~❽番】
→ 【❶平取】 → ❷平取神社前 → ❸二風谷小学校前 → ❹資料館前 → ❺平取温泉 → ❻幌毛志中央 → ❼農協振内支所前 → ❽仁世宇 →
【日高町(日高地区)🚏❶~❻番】
→ ❶岩内ダム → ❷下岩内 → ❸日高 → 【❹日高ターミナル】 → ❺自衛隊前 → ❻千栄市街
(参考1)旧沙流軌道の「駅」~昭和26年(1951年)12月廃止
【 富川駅(始発駅)】 → 東佐瑠太駅 →→ 紫雲古津駅 → 去場駅 → 荷菜駅 → 【平取駅(終着駅)】
(参考2)旧国鉄富内線の「駅」~昭和61年(1986年)11月廃止
【鵡川駅方面】 →→ 富内駅 →→ 【日振トンネル】 →→ 幌毛志駅 → 振内駅 → 仁世宇駅 → 岩知志駅 →→ 日高岩内駅 → 日高三岡駅 → 【日高町駅(終着駅)】
「日高町富川から 【日高町(門別地区)🚏❾番】 へ」
(再掲)◎最寄りの「バス停」一覧◎
→ 【❸富川市街】 → ❾平賀 →
★歴史文化資源一覧
★沙流軌道(旧JR富川駅) ★日高水稲発祥の地の碑
【苫小牧(西側)・静内(東側)方面から】
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◎バス停◎「富川市街」 / 道南バス【日高町(門別地区)🚏❸番】
★沙流軌道(旧JR富川駅) 【🚏❸番】
❸ 【大正10(1921)年】に王子製紙株式会社が、「原料木材輸送のために」軌道を敷設して運行したもの。
日高線富川駅から分かれ、紫雲古津、去場、荷菜を経て「平取に達する延長13kmの軌道」で、その後、一般営業線となり、旅客、貨物を取り扱うようになった。
昭和26(1951)年に貨物自動車の増加などにより「廃止」された。
(参考)【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカ!
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↓【3分】
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◎バス停◎「平賀」 / 道南バス【日高町(門別地区)🚏❾番】
★日高水稲発祥の地の碑 【🚏❾番】
❾ 【明治7(1874)年】に互野留作が「日高ではじめて水田を開き」稲作を試みた地に、門別町(現日高町(門別地区))百年を記念して、昭和47(1971)年に立てたもの。 非現存?
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「これより 【平取町 🚏❶~❽番】 へ」
(再掲)◎最寄りの「バス停」一覧◎
→ 【❶平取】 → ❷平取神社前 → ❸二風谷小学校前 → ❹資料館前 → ❺平取温泉 → ❻幌毛志中央 → ❼農協振内支所前 → ❽仁世宇 →
★各歴史文化資源
★平取町の駅逓所 ★平取町の渡船場 ★義経神社 ★義経資料館 ★義経神社の栗 ★ハヨピラ ★マンロー博士記念館(旧マンロー邸) ★ユオイチャシ跡 ★二風谷アイヌ文化博物館 ★沙流川歴史館 ★歴史の散歩道の記念碑 ★二風谷アイヌ資料館 ★オプシヌプリ視点場 ★カンカン2遺跡 ★幌尻岳視点場 ★振内鉄道記念館 ★日東鉱業(クローム鉱山)
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↓【4分】
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↓【4分】
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↓【4分】
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↓【4分】
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◎バス停◎「平取」 / 道南バス【平取町 🚏❶番】
★平取町の駅逓所 【🚏❶番】
【 NO IMAGE 】
❶ 【明治37(1904)年】に「平取駅逓所」が置かれ、官馬7頭が配置されその業務にあたった。
さらに、沙流川奥地への開発とともに明治41(1908)年には「長知内駅逓所」が、明治42(1909)年には「岩知志駅逓所」が逐次設けられ、官馬が配置され交通に供された。
★平取町の渡船場 【🚏❶番】
【 NO IMAGE 】
❶ 当時、平取~富川間は橋梁などは一本もなく、旅行者のために【明治30(1897)年】に「平取渡船場」が、明治34(1901)年には「荷負渡船場」、「長知内渡船場」が設置され、人馬だけは平取~池売付近までいけるようになった。
また、川向に渡るため、明治35(1902)年に「荷菜渡船場」が、明治36(1903)年に「紫雲古津渡船場」などが設けられた。
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↓【1分】
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◎バス停◎「平取神社前」 / 道南バス【平取町 🚏❷番】
★義経神社 【🚏❷番】
❷ 寛政3(1791)年に沙流場所請負人「山田文右衛門」が建立したというものと、【寛政11(1799)年】あるいは享和2(1802)年に幕吏「近藤重蔵」がアイヌに義経信仰があることを知って、ハヨピラに一廟を建てさせたものが始まりともいわれる。
文右衛門あるいは重蔵の社を建立した最初の地は「新冠の判官館城跡」で、後に今の平取に移したものとも伝えられているが定かでない。
明治34(1901)年の大水害により、ハヨピラに建立したものを、現在の高台「ホウスマウンナ」に社殿を増築して遷座し、「現在の社殿」は大正8(1919)年に造営したものである。
祭神、「源義経」。
★義経資料館 【🚏❷番】
❷ 【平成3(1991)年】に開館し、北海道に数多くの伝説を残し、ハンカン(判官)カムイ(神様)として親しまれた「源義経にまつわる資料」を展示している。
文治5年の平泉の変で自決したことになっている源義経が、蝦夷地に渡り「日高ピラウトゥリ(平取)」に来たあと、家臣らとともに大陸へ渡ったことなどが記載されている資料が残されている。
★義経神社の栗 【🚏❷番】
❷ 「源義経」が奥州から逃れ北海道に渡り、義経神社の境内付近に居を構えたときに植えられたものと伝えられるクリ。
【昭和49(1974)年】に「北海道記念保護樹木」に指定された。
★ハヨピラ 【🚏❷番】
❷ アイヌのあらゆる生活文化を教えたといわれる神様「オキクルミカムイ」が降臨した、又は、住んでいたところと伝えられるところで、「平取市街」の外れの沙流川を見下ろす丘にあったといわれる説と、二風谷上流の「荷負市街地」からさらに1000mほど遡ったシケレペというコタンの真向いにあったとも言われる説がある。
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↓【7分】
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◎バス停◎「二風谷(にぶたに)小学校前」 / 道南バス【平取町 🚏❸番】
★マンロー博士記念館(旧マンロー邸) 【🚏❸番】
❸ アイヌの生活風俗の研究のため、【昭和7(1932)年】に二風谷に移住し、研究の傍ら医者として奉仕活動に生涯を捧げた「英国人考古学者・人類学者のニ-ル・ゴ-ドン・マンロ-博士」が、昭和17(1942)年になくなった後、住宅兼病院であった建物が記念館として保存され、現在は北海道大学に寄贈され、北方文化の研究に活用されている。
国の登録有形文化財。
★ユオイチャシ跡 【🚏❸番】
❸ 沙流川とユオイ沢に挟まれた台地に作られた「丘先式チャシ跡」。
主体部は造田工事によって破壊されていたが、二重の弧状壕とチャシ内の周縁部に柵列跡が発見された。
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↓【1分】
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◎バス停◎「資料館前」 / 道南バス【平取町 🚏❹番】
★二風谷アイヌ文化博物館 【🚏❹番】
❹ 昭和47(1972)年に設立された「二風谷アイヌ文化資料館を発展的に移築」、公立博物館として【平成4(1992)年】に開館。
平取ダム湖畔に位置し、野外展示のチセ(家)をはじめ、衣装や漁具、民具や祭事品などの「展示資料」のほか、口承文化として伝えられるユ-カラをビデオステ-ジで「実際に聞く」ことができる。
また、「平取の歴史や自然に関する研究・調査」を行い、その結果を展示や出版物を通して広く普及している。
★沙流川歴史館 【🚏❹番】
❹ 【平成10(1998)年】に開館。
二風谷アイヌ文化博物館に隣接し、沙流川流域の自然と歴史に関する学習機会の場を提供するため、「沙流川流域の自然等」の資料、発掘調査によって「遺跡から出土した品々」を可能なかぎり復元して展示。
実物大の木彫り動物等を使った「ジオラマ」などもある。
★歴史の散歩道の記念碑 【🚏❹番】
❹ 平取町が明治32(1899)年に門別戸長役場から平取外八ヶ村戸長役場として独立した後100年を記念して、「教育、文化、福祉などの分野で活躍した偉人9人」を讃えるために、【平成11(1999)年】に二風谷湖の管理用道路沿いに記念碑を建てたもの。
なお、「偉人9人」とは、松浦武四郎、ジョン・バチラー、エディース・メアリー・ブライアント、近藤重蔵、違星北斗、ニール・ゴードン・マンロー、金田一京助、金成マツ、及びイザベラ・エル・バードである。
★二風谷アイヌ資料館 【🚏❹番】
❹ 【昭和46(1971)年】に開館し、萱野茂氏が館長として「40年にわたって収集したアイヌ民具」をはじめ、世界の先住民族の民具や絵画など計千点以上を展示している。
暮らしに息づく「思想や信仰」をも知ることができる。
なお、二風谷アイヌ文化博物館とあわせ、同館に展示されているアイヌ生活用具は、平成14(2002)年に国の「重要有形民俗文化財」に指定されている。
(参考)【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカ!
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↓【4分】
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◎バス停◎「平取温泉」 / 道南バス【平取町 🚏❺番】
★オプシヌプリ視点場 【🚏❺番】
❺ アイヌの文化神「オキクルカムイ」が弓矢を放ち、山肌を射抜いたという伝承がある山。
また、夏至の前後約10日間は、太陽が「山のくぼみ」にすぽっり入り沈むため、多くの人が拝みに訪れる。
★カンカン2遺跡 【🚏❺番】
❺ 10世紀半ばから11世紀にかけて築造された溝が巡る「盛土遺構」。
盛土の表面からは直刀や青銅製腕等豊富な金属器と「擦文土器」が出土した。
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↓ ~~額平(ぬかびら)川、貫気別(ぬきべつ)川~~~
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↓【9分】
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↓【5分】
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↓【6分】
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◎バス停◎「幌毛志中央」 / 道南バス【平取町 🚏❻番】
★幌尻岳視点場 【🚏❻番】
❻ 日高山脈の最高峰であり、国の名勝に指定され、日本百名山にも選定されている「幌尻岳」。
アイヌ伝承では、「神が住む聖なる山」として祈りの対象とされ、かつては神様に遠慮して登らない山とされた。
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↓【6分】
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◎バス停◎「農協振内支所前」 / 道南バス【平取町 🚏❼番】
★振内鉄道記念館 【🚏❼番】
❼ 国鉄富内線は、昭和33(1958)年には、鵡川町富内から平取町振内まで、昭和39(1964)年には「日高町(現日高町(日高地区))までの全線が開通」したが、昭和61(1986)年に「廃止」された。
【昭和62(1987)年】に当該記念館が開館し、「鉄道用具や振内駅構内の模型等」、旧国鉄富内線の歴史を伝える資料を展示している。
公園内にはD51蒸気機関車や客車を展示しており、「簡易宿泊施設」としても利用できる。
(参考)【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカ!
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↓【1分】
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↓【6分】
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◎バス停◎「仁世宇」 / 道南バス【平取町 🚏❽番】
★日東鉱業(クローム鉱山) 【🚏❽番】
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❽ 大正6(1917)年、ニセウに渡辺新蔵が所有する試掘権を買収し、本格事業を開始したのが始まり。
【大正8(1919)年】、有望豊富な大鉱脈を発見し、「日東クロ-ム鉱業株式会社を創立」、ニセウ河口までレ-ルを敷設し、トロッコによる運搬を計画していたが、大洪水、第一次世界大戦後の財界不振により「旧山」した。
昭和4(1929)年、後藤合名会社に改組して「再開」し、昭和6(1931)年には新鉱を発見し、軍需に応じて発展したが、昭和17(1942)年には日本製錬株式会社に譲渡された。 非現存。
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↓【2分】
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「これより 【日高町(日高地区)🚏❶~❻番】 へ」
(再掲)◎最寄りの「バス停」一覧◎
→ ❶岩内ダム → ❷下岩内 → ❸日高 → 【❹日高ターミナル】 → ❺自衛隊前 → ❻千栄市街
★各歴史文化資源
★沙流川右岸道路 ★沙流川左岸道路 ★岩内不動尊 ★閑山寺 ★日高山脈博物館 ★日高町郷土資料館 ★右左府(うしゃっぷ)駅逓所 ★右左府橋 ★右左府渡船場 ★坂本組 ★日高町木やり保存会 ★浄教寺 ★日高町の開祖目曲久助の入地跡碑 ★千栄神社 ★千呂露(ちろろ)駅逓所 ★沙流川源流原始林
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↓【12分】
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◎バス停◎「岩内ダム」 / 道南バス・町営バス【日高町(日高地区)🚏❶番】
★沙流川右岸道路 【🚏❶番】
❶ 岩内・三菜頃から右左府間の左岸道路が難路であったため、「道庁が昭和3(1928)年に工事」を着手した。
【昭和7(1932)年】に完成したが、落石、なだれが多発し、冬期間はよく不通となった。
昭和28(1953)年に「国道237号」に指定され、昭和43(1968)年から「大改修」が行われた。
★沙流川左岸道路 【🚏❶番】
❶ 木製材の運送等のために、道庁が開設した道路で、明治42(1909)年に平取・仁世宇間、明治43(1910)年に仁世宇・岩知志間、【大正2(1913)年】に岩知志・右左府間が開かれたが、「駄馬がやっと通れる程度のもの」であった。
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↓【1分】
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◎バス停◎「下岩内」 / 道南バス【日高町(日高地区)🚏❷番】
★岩内不動尊 【🚏❷番】
❷ 不動の滝の横の巨岩の「3.3平方メールほどの洞穴」に不動尊像が安置されている。
「閑山寺を開創した定賢和尚」が、夢の中で、天女が羽衣を下げたような滝の下に座っている不動尊の姿を見て、おそらくお告げであろうとして、富山県の名工に不動尊像を彫ってもらい祀るようになった。
現在の堂宇は、昭和28(1953)年に建立されたもの。
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↓【13分】
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◎バス停◎「日高」 / 道南バス【日高町(日高地区)🚏❸番】
★閑山寺 【🚏❸番】
❸ 日高町(現日高町(日高地区))「最初の寺院」で、初代住職二宮定賢が、明治43(1910)年にウシャップ(日高町日高)に民家を借り、【明治44(1911)年】に曹洞宗説教所として設立認可されたのが始まり。
昭和6(1931)年、現在地に「新築移転」した。
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↓【2分】
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◎バス停◎「日高ターミナル」 / 道南バス・町営バス【日高町(日高地区)🚏❹番】
★日高山脈博物館 【🚏❹番】
❹ 【平成11(1999)年】に開館した町立博物館であり、北海道の背骨の「日高山脈に関する様々な資料」が展示されている。
特に日高山脈の歴史を紐解くアンモナイトの化石のほか、各種岩石の展示が非常に充実しており、「太古から伝わる地球の鼓動」を感じることができる。
★日高町郷土資料館 【🚏❹番】
❹ 昭和45(1970)年に、北海道が開拓記念館に収蔵するための資料を収集するにあたり、町民に呼びかけ拠出されたもののうち、「開拓記念館に引き取られずに残された品物を柱」として、それらを収蔵するために日高町(現日高町(日高地区))「開基70周年」にあわせて、【昭和50(1975)年】に開設された。
★右左府(うしゃっぷ)駅逓所 【🚏❹番】
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❹ 【明治41(1908)年】に開設された「右左府駅逓所」には、官馬3頭と、私馬7頭がおかれ、岩知志、千呂露、占冠の間の輸送にあたった。
主の客層は、「造材関係者」、役人、行商人などであった。
昭和2(1927)年に設立された「三国横断バス」などの輸送力の増加により、昭和12(1937)年に廃止。
★右左府(うしゃっぷ)橋 【🚏❹番】
❹ 三菜頃~右左府間里道の最終事業として、【大正2(1913)年】に架設された日高町(現日高町(日高地区))「管内最初の沙流川架橋」。 キングトラス式。
★右左府(うしゃっぷ)渡船場 【🚏❹番】
❹ 当時、平取から右左府までの往来には、「5ヶ所の渡船場を使用しなければならず」、そのうちの一つで、【明治41(1908)年】に初代右左府伍長などを務めていた「夏川政五郎が私設」したもの。
初めは、「丸木舟」で棹一本で急流を渡ったが、危険が多く、まもなく対岸に針金を張り渡し舟を繋いだ。
明治42(1909)年には、公設に移され運営されていたが、大正2(1913)年に「右左府橋の架設」により廃止された。
★坂本組 【🚏❹番】
❹ 王子製紙苫小牧工場が明治43(1910)年に操業を開始するのに先立ち、その原木の供給地を沙流川源流に求めたが、【明治42(1909)年】に「その伐採と運材事業」を請け負った。
岡春部3号の沢で伐採を開始したときは、10人あまりの人夫を使役した小規模なものであったが、明治43(1910)年には川をせき止め水量を見計って一度に流出させ、原木をその勢いで本流に押し流すため「鉄砲堰」を新設するなどして、坂本組の造材事業は千呂露川流域まで広がった。
★日高町木やり保存会 【🚏❹番】
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❹ 丸太開拓時代の「木材搬出技法」を今に残すもので、日高町(現日高町(日高地区))で開催される樹魂まつりで披露されている。
★浄教寺 【🚏❹番】
❹ 【明治44(1911)年】に「大谷派の僧侶高渕義」が住本堂兼庫裏を建立し、真宗大谷派説教所として布教を始める。
大正15(1926)年に火災で焼失し、昭和2(1927)年に本堂庫裏を建築して再起したが、昭和9(1934)年、再び火災で焼失する。
昭和21(1946)年、「現在地」に本堂、庫裏などを建立し、現在名に改称。
昭和45(1970)年に本堂、昭和47(1972)年に庫裏納骨堂を「改築」した。
(参考)【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカ!
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【これより 「石勝樹海ロード(国道274号線)」 へ】
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↓【11分】
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◎バス停◎「自衛隊入口」 / 町営バス【日高町(日高地区)🚏❺番】
★日高町の開祖目曲久助の入地跡碑 【🚏❺番】
❺ 【明治38(1905)年】、この地に居を構え日高町(現日高町(日高地区))開拓の基礎を築いた「岩手県人目曲久助」を記念する碑。
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↓【1分】
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◎バス停◎「千栄(ちさか)市街」 / 町営バス【日高町(日高地区)🚏❻番】
★千栄神社 【🚏❻番】
❻ 日高町(現日高町(日高地区))の発祥地である「千栄部落の守り神」で、【明治43(1910)年】に町有放牧地内に小社宇と地鎮社を祀ったのが始まり。
大正10(1921)年、現在地近くに「千呂露神社」の名称で、新築移転した。
昭和18(1943)年、「現在名に改称」したが、昭和35(1960)年、日勝道路建設予定地コ-スに触れたため、「約20m離れた現在地に移動」した。
本宮は一間社流れ造り様式による日高町(現日高町(日高地区))唯一の「本格的木造社寺建築物」である。
★千呂露(ちろろ)駅逓所 【🚏❻番】
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❻ 【明治43(1910)年】に開設された「千呂露駅逓所」は、客室8畳2間、6畳2間、外に管理人居室、台所など土台つきの本建築で、当初は官馬が3頭であったが、後に私馬も数頭予備していた。
「沙流川流域の駅逓所としては終着」であり造材関係、鉱山関係、行商人などが常客であった。
昭和2(1927)年に設立された「三国横断バス」などの輸送力の増加により、昭和14(1939)年に廃止された。
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★沙流川源流原始林
● 昭和40(1965)年に完成した「日勝峠の日高側」に位置し、【昭和45(1970)年】に「国の天然記念物」に指定される。
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【これより 十勝管内 へ】
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(巻末1)「【日高三街道(国道)沿い】の歴史文化資源 巡覧!」に係るポータルサイト等
1.優駿浪漫街道(国道235号線)
2.とんがりロード(国道336号線等)
3.沙流(さる)ユーカラ街道(国道237号線等)
「3.【沙流(さる)ユーカラ街道(国道237号線等)】沿いの歴史文化資源 巡覧!」(日高門別~平取~日高)
姉妹編.日高の内陸(道道)
(巻末2)【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表×2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】×2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」