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「■ はじめに」
■ さきに当課では、令和3年(2021年)の「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を機に、縄文時代(1万5千年前~2千数百年前)・続縄文時代(2千数百年前~7世紀頃)における「日高管内の主な遺跡」を次のページにとりまとめています。
■ このたび、その続編として擦文時代(7~12世紀頃)・アイヌ文化期(13~19世紀半ば)における「日高管内の主な遺跡及びチャシ跡」を下記の通りとりまとめました。
■ 下記の構成は、まず擦文(さつもん)時代・アイヌ文化期のそれぞれの「文化の特徴」及び「チャシ」について、簡潔に説明しています。
■ その後、日高管内の主な遺跡及びチャシ跡付近の 令和4年(2022年)秋現在の「写真」と「遺跡及びチャシ跡の概要」を次の3エリア毎に北から順に掲載しています。
- 日高西部エリア(日高町・平取町)
- 日高中部エリア(新冠町・新ひだか町)
- 日高東部エリア(浦河町・様似町・えりも町)
■ 皆様の身近な地域において想像力を膨らませて、「古の先住の民」の面影を偲んでいただければ幸いです。
〇 主な参考文献・資料等
〇道立北海道博物館「展示」 〇道教育庁HP「北の遺跡案内」 〇道HP「北海道歴史文化ポータルサイト」 〇北海道新聞社「北海道の歴史/上」 ○北海道新聞社「擦文・アイヌ文化」 〇日高教育史編集委員会「日高教育史/戦前編」 〇日高支庁環境生活課「日高の歴史的文化活用資源リスト」 〇日高町「日高町100年記念誌」 〇平取町「平取町百年史」 〇門別町「新門別町史/上巻」 〇新冠町「続新冠町史」 〇静内町「増補改訂静内町史/上巻」 〇三石町「追補三石町史」 〇浦河町「新浦河町史/上巻」 〇様似町「改訂様似町史」 〇えりも町「えりも町史」
「● 擦文時代・アイヌ文化期の「文化の特徴」及び「チャシ」」
● 擦文時代の文化の特徴
《 7 ~ 12世紀頃 》 (本州の飛鳥時代・奈良時代・平安時代)
● 本州の中央政権が東北北部にまで侵攻、「本州との交易」が盛んとなる。
●「縄文のついた土器」はみられなくなり、本州の土師器(はじき)の影響を受けた「擦文土器」が使われる。 なお「擦文」の名は、土器の表面に木片による擦り痕がつけられたことに由来。
● また、本州から大量の「鉄器」が流入し、「石器」は使われなくなる。
● 狩猟や漁労のほかにアワやヒエなどの「雑穀」を栽培、住居も本州のように「壁面にカマド付き」の竪穴住居がつくられる。
● 上記の擦文文化が「石狩低地から道北・道東へ」と北海道全域の河口・川沿いに広がり、それは本州との交易品を求めて人々が移動したものと考えられる。
● なお「日高地方」では、河口や海岸線の浸食が著しいためか、同時代の遺跡は、それを前後する時代の遺跡数と比較してもあまり見つかっていない。
(北海道博物館展示)
● 5世紀には海獣狩猟・漁労活動が主の「オホーツク文化」の人々が、サハリンからオホーツク海沿岸にやってきており、その文化の特徴に一つに、アイヌ文化にみられる「クマ」などの動物に対する信仰がある。
● オホーツク文化(5~9世紀)と擦文文化(7~12世紀)は、8~9世紀頃に出会い、両方の文化の特徴をもった「トビニタイ土器」が道東でつくられる。
(北海道博物館展示)
● アイヌ文化期の文化の特徴
《 13世紀~19世紀半ば 》 (本州の鎌倉時代~江戸時代)
● 鎌倉幕府が東北北部を支配下とし、多くの船が日本海を行き交い「大量の物資が交易」されて、道南には「和人」が住み着くようになる。
●「鉄鍋・漆器・陶器」が大量に広がり、1万年以上使われた「土器」はほとんどみられなくなる。
● 住居は本州と同様、竪穴住居から「平地住居」のチセに、壁面のカマドは囲炉裏に変わり、和人や大陸との交流を通じて「生活スタイル」を絶えず変化。
● 同時期の遺物は一般的に少なく、それは「平地住居」のため遺跡の存在が確認しづらいとともに、土器から鉄鍋・漆器等の「地中に残りにくい遺物」が主体となったためと考えられる。
※ ここで言う「アイヌ文化」とは、当該時期における文化の意。
(二風谷アイヌ文化博物館)
● チャシ
● チャシはアイヌ語で「砦・館・柵・柵囲い」の意で、用途は「砦・見張り・聖地・談判」などが考えられる。
● チャシの形状は「丘先式・面崖式・丘頂式・孤島式」の4分類とするのが一般的。
● チャシが造営された時期は「16~18世紀頃」と考えられ、チャシ跡は全道で「五百以上」発見、その多くが「日高・十勝・釧路・根室」に集中しているが、同隣接地域間の闘争の伝承も多い。
● なお、道東の納沙布岬の西隣にある『ヲンネモトチャシ跡』は、日本城郭協会から「日本100名城」の一つに選定され、スタンプラリーで1番目とされたことから多くの観光客が訪れる。
(北海道博物館展示)
「1.日高西部の 主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡」
★ニオイチャシ跡 (平取町貫気別)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 鉄鏃・刀・タシロ・キセル・獣骨・鹿角
時 代: 【アイヌ】
立 地: 額平川左岸、貫気別川との合流点よりやや下手
標 高: 98m
そ の 他: 丘頂式チャシ跡。 幅5m長さ37mの直条の壕が1本あり。 火災と雨に関するいくつもの伝承あり。
★イルエカシ遺跡・シラッセチャシ跡 (平取町二風谷)
種 別: 集落跡・チャシ跡
出土遺物: 土器・石器等・金属製品・陶磁器・獣骨
時 代: 旧石器・縄文(早期・中期・後期・晩期)・続縄文・擦文・【アイヌ】
立 地: 沙流川とカンカン川に挟まれた段丘
標 高: 60m
そ の 他: 多くの建物跡や鉄類再生産のための鍛冶遺構が出土。 イルエカシ遺跡の北東側の標高85mにシラッセチャシ跡あり。
★カンカン2遺跡 (平取町二風谷)
種 別: 遺物包含地
出土遺物: 土器・須恵器・石器等・鉄・青銅製品等
時 代: 縄文(早期・中期・後期)・続縄文・【擦文】
立 地: 沙流川左岸、カンカン川左岸、合流点舌部
標 高: 60m
そ の 他: 10~11世紀に築造の溝が巡る盛土遺構。 直刀等の豊富な金属器と擦文土器が出土。
★ポロモイチャシ跡 (平取町二風谷)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 石器・金属器・陶磁器・骨角器・獣骨
時 代: 【アイヌ】
立 地: 沙流川左岸、河岸段丘上、後背地は小沢で切られている。
標 高: 48m
そ の 他: 面崖式チャシ跡。 2本の壕が区切る両郭内から一軒ずつ建物跡確認。 周辺のチャシ跡と同様に1667年噴火の樽前山火山灰に覆われており、それ以後廃棄されたと考えられる。
★二風谷遺跡 (平取町二風谷)
種 別: 集落跡
出土遺物: 土器・石鏃・石斧未製品・フレイク・鉄製品・獣骨
時 代: 縄文(早期・前期・中期・後期・晩期)・続縄文・擦文・【アイヌ】
立 地: 沙流川左岸段丘上
標 高: 48m
そ の 他: 北側のポロモイチャシ跡と南側のユオイチャシ跡の間に位置して11軒の建物跡あり。 二風谷ダム建設に伴う発掘調査で全容が明らかとなる。
★ユオイチャシ跡 (平取町二風谷)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 石器・金属製品・陶磁器・獣骨
時 代: 【アイヌ】
立 地: 沙流川左岸、河岸段丘上、後背地は小沢で切られている。
標 高: 47m
そ の 他: 丘先式チャシ跡。 ポロモイチャシ跡の南西約250mに位置。 主体部は造田工事により破壊されるも、二重の弧状壕とチャシ内周縁部に柵列跡を発見。
★アベツチャシ跡 (平取町小平)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 鎧・鉄鍋
時 代: 【アイヌ】
立 地: 沙流川左岸、アベツ川との合流点付近
標 高: 160m
そ の 他: 丘頂式チャシ跡。 頂上付近に一辺15m程の三角形平坦部あり。
★アッペツチャシ跡 (日高町正和)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 厚別側右岸、北東へ伸びる丘陵頂部
標 高: 120m
そ の 他: 丘頂式チャシ跡。 頂上部に壕あり。 オニビシの姉のチャシでシャクシャインに焼き払われたといわれる。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」とともに国史跡に指定。
★シノタイ遺跡 (日高町富浜)
種 別: 貝塚
出土遺物: 磁器・鉄鍋・鉄釘・骨器・鹿骨
時 代: 【アイヌ】
立 地: 太平洋に面するシノタイ岬の東側段丘
標 高: 5m
そ の 他: メカジキを主体とした動物の送り場と考えられる貴重な遺構あり。
「2.日高中部の 主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡」
★美宇遺跡 (新冠町美宇)
種 別: 集落跡
出土遺物: 土器・石器・刀子・鉄鍋
時 代: 縄文(中期・後期・晩期)・続縄文・【擦文】・アイヌ
立 地: 厚別川左岸段丘
標 高: 50m
そ の 他: 擦文土器・土師器・須恵器が出土。
★ピポクチャシ跡 (新冠町高江)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 海岸段丘、新冠川河口右岸
標 高: 40m
そ の 他: 丘頂式チャシ跡。 アイヌの人々にはチノミシリ(われら・祭る・山)と呼ばれる。 源義経が館を築いたとの伝承から判官館の名で親しまれる。
★ルイオピラチャシ跡 (新ひだか町静内豊畑)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 骨角器・鉄製品(タシロ)
時 代: 【アイヌ】
立 地: 河岸段丘
標 高: 70m
そ の 他: 面崖式チャシ跡。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」として国史跡に指定。
★オチリシチャシ跡 (新ひだか町静内農屋)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 舌状台地(炭山沢入口)
標 高: 90m
そ の 他: 丘先式チャシ跡。 「寛文9年蝦夷の乱」に関連するチャシでオニビシ方のものされる。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」として国史跡に指定。
★パンケペラリチャシ跡 (新ひだか町静内豊畑)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 骨角器
時 代: 【アイヌ】
立 地: 河岸段丘
標 高: 80m
そ の 他: 面崖式チャシ跡。 1958年に静内高校郷土研究部により発見。 十勝アイヌと農屋アイヌとの古戦場との伝承あり。
★御殿山チャシ跡 (新ひだか町静内目名)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 段丘
標 高: 40m
そ の 他: 丘先式チャシ跡。 溝は方形に掘られる。 「寛文9年蝦夷の乱」で金堀文四郎がアイヌのチャシを模して設けたものとも考えられる。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」として国史跡に指定。
★シベチャリチャシ跡 (新ひだか町静内真歌)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 陶器・漆器・鉄鍋・鉄斧・布・マレック・鹿角
時 代: 【アイヌ】
立 地: 静内川左岸段丘(真歌段丘)
標 高: 80m
そ の 他: 丘先式チャシ跡だが標高80mの崖に面して面崖式チャシ跡とも見れる。 三重の溝があったが耕作のため外と中の溝は埋められた。 「寛文9年蝦夷の乱」に関連するチャシで規模も道内屈指。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」として国史跡に指定。 町民はシャクシャインのチャシと呼ぶ。
★ホイナシリチャシ跡 (新ひだか町静内入船町)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 漆器・木製品・鉄斧・キセル・鉄鍋・マレック・鹿の角や骨・人骨・ナタ・チョーナ
時 代: 【アイヌ】
立 地: 静内川河口左岸段丘上
標 高: 60m
そ の 他: 丘先式チャシ跡。 1997年に「シベチャリ川流域チャシ群」として国史跡に指定。
★春立海岸遺跡 (新ひだか町静内春立)
種 別: 貝塚
出土遺物: 土器・石器・骨角器(銛先・釣針・縫針)・自然遺物
時 代: 縄文(晩期)・【続縄文・擦文】・アイヌ
立 地: 海岸段丘
標 高: 5~7m
そ の 他: 続縄文時代の大狩部式土器・後北式土器の他、擦文時代の擦文式土器・須恵器・土師器等が出土。 波浪により遺跡の大半を喪失。
★ショップチャシ跡 (新ひだか町三石旭町)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 海岸段丘
標 高: 30m
そ の 他: 先丘式チャシ跡。 舌状12m×10mの大チャシ。 幅約3m・深さ約1mの壕あり。
「3.日高東部の 主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡」
★鵜苫沢A遺跡 (浦河町東幌別)
種 別: 遺物包含地
出土遺物: 土器・石鏃
時 代: 続縄文(後半期)・【擦文】
立 地: 低位段丘
標 高: 5m
そ の 他: 続縄文時代の北大式土器とともに擦文土器が出土
★エンルムチャシ跡 (様似町会所町)
種 別: チャシ跡
出土遺物: 土器・石器
時 代: 【アイヌ】
立 地: 岬(独立丘陵)
標 高: 50m
そ の 他: 丘先式チャシ跡。 エンルム岬高台にある。 文化庁埋蔵文化財包蔵地に指定。
★油駒チャシ跡 (えりも町東洋)
種 別: チャシ跡
出土遺物: -
時 代: 【アイヌ】
立 地: 舌状台地
標 高: -
そ の 他: 丘先端に縦28m横56mの長方形に溝が掘られる。 明治開拓初期以前から遺構があったといわれる。
(参考1)【日高文化歴史散歩】~★ブラ・ラブヒダカ!
【参考:長万部町国縫を含む道南地方の地図】
(参考2)【日高の歴史・文化の世界へ】ポータルサイト!
【当該サイトの主な掲載内容】
- 「日高の歴史的文化活用事業(日高の歴史的文化活用資源【リスト】)」
- 「北海道・日高管内の【博物館・美術館等】一覧~21!」
- 「北海道・日高管内の【文化財・遺産等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【主な文化ホール・映画館・公民館・図書館等】一覧!」
- 「日高管内・各町別【コミュニティセンター等】一覧!」
- 「北海道・日高管内の【各種スポーツ施設等】一覧!」
- 「【日高文化歴史散歩】~ブラ・ラブヒダカ!」
- 「【日高のあゆみ】~日高支庁百年記念誌~」
- 「【日高開発史】~日高支庁八十年記念誌~」
- 「(概略版)日高の【戦後史(75年間)】年表 × 2021年現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の戦後75年間【文化・スポーツ史】概要!」
- 「北海道・日高管内の戦後【市民活動史 (町内会・青年女性団体・NPO等) 】概要!」
- 「全国・全道・日高管内の【戦後・交通安全史】概要!」
- 「北海道・日高管内の【主な縄文遺跡】× 2021年秋現在写真集!」
- 「北海道・日高管内の【主な擦文・アイヌ文化期の遺跡及びチャシ跡】× 2022年秋現在写真集!」
- 「文化振興に係る【各ホームページ】へのリンク集」