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最終更新日:2006年2月18日(土)


馬文化ひだか:馬を知る:馬の日高史


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馬の日高史
馬産地日高の誕生 馬を知るへ戻る▲

日高は、北海道の中では気候も温暖で雪も少ない地域である。また、濃霧発生地帯であり、火山灰地が厚く被覆している。そのため、農業としては普通作目よりむしろ畜産に適しており、古くから馬産地として位置付けられてきた。

日高の馬産の起源は、文化年間(1804~18年)の駅馬の配置に始まるとされる。安政5年(1858年)には幕府が元浦河に馬牧を設置した。馬牧は明治になって廃止されたが、収容馬約500頭は三石・浦河・様似などの民間人に貸与された。その後、明治5年(1872年)には、小型馬を大型化して広い用役に適応する改良を認めた当時の開拓使・黒田清隆によって「新冠牧場」が開設された。新冠・静内にまたがる約6,700町歩のその土地にはミヤコザサなどの野草が繁茂しており、放牧にも好都合だったのである。新冠牧場が整うまでに約16年を要しているが、この間に大きな役割を果たしたのが、開拓使雇いのアメリカ人、エドウィン・ダンである。新冠牧場は彼の設計による近代的な西洋式牧場であった。厩舎・官舎・見回舎・牧柵などの施設をはじめ、静内方面に広大な飼料畑を開墾するなど、北海道馬産政策の拠点として整備した。また、馬に深刻な被害をもたらしていた北海道狼を駆除したのもダンであった。
明治15年(1882年)に開拓使が廃止となると、新冠牧場は明治17年(1884年)に御料牧場となった。御料牧場の目的は、西洋文化にならって皇室が行幸の際に馬車を利用するための馬の生産であり、また、交通運搬手段、農耕用に使う大型馬匹の需要に応えるためであった。3年後にはこの牧場にサラブレッド種が輸入され、日高地方の軽種馬生産に大きな影響を与えた。

馬の日高史を更に詳しく
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