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最終更新日:2006年2月18日(土)


馬文化ひだか:馬を知る:馬の日高史:日本最大の馬産地へ


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現在の日高の牧場風景
日高地方は、今や全国の軽種馬生産者の67%、サラ系生産頭数の72%、種牡馬の69%を占めている。また、日高には育成施設、セリ市場などの施設・関連産業が集積している。
今でこそ日高は「優駿のふるさと」として全国に名を馳せているが、戦後しばらくの間は全国に数ある馬産地の一つに過ぎなかったのである。府県の馬産地が都市化の影響や土地条件から軽種馬専業地域としての成立が困難であった一方、日高地方は戦前からの伝統が基礎に、ひとたび産地が形成されると種牡馬の選定や市場条件が有利に働き、産地としての集積を高めるという過程を辿った。これが、日高地方を一大産地にした要因である。競走馬生産は、種牡馬をはじめ獣医・装蹄・馬具・馬輸送・共済・保険・情報・支援組織等との関係なしには成り立たない。戦後競馬の発展とともに、これらが日高に集積したことも馬産地帯化の一因である。また、サラブレッドは馬の中でも皮膚が薄く、暑さに弱いということも北海道・日高への特化を促した。競馬の国際化は、さらなる高度な飼養管理・技術と関連施設・組織を必要とし、そのことが日高をさらに軽種馬の集中地にさせた。
生産過剰が問題となった昭和50年代には日本軽種馬協会による産駒の生産調整が実施された。日高地方でも軽種馬農家が淘汰され、専業化と規模拡大が進んだ。しかしバブル期に入ると再び生産過剰となり、2回目の生産調整を実施したが効果は薄かった。この時期、日高の軽種馬農家は減少傾向にあったものの、投機を目的とした新興馬主の参入や金融緩和に刺激され、産地は出産ブームとなっていた。
その後のバブル経済破綻による景気の低迷や、JRAが平成4年から実施した輸入馬の出走制限の緩和による競走馬輸入増加の影響で、日高地方の産駒は販売不振となり、繁殖牝馬頭数と生産頭数は年々減少している。またアングロアラブについては、平成8年のJRAアラブレース廃止などに伴って急激に減少している。

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