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最終更新日:2006年2月18日(土)


馬文化ひだか:馬を知る:馬の日高史:戦前の馬政計画と日高


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戦前の馬政計画と日高
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戦前の馬政は、『富国強馬(武市銀治郎著)』の名の如く、軍馬改良を目標としていた。明治初期の日本の馬は、在来馬で小型であった。日清・日露の両戦役、さらに北辰事変などで、外国馬に比べ日本馬があまりにもお粗末なことを思い知らされた政府は、馬政計画を立てて馬の改良に取り組んだ。軍馬の改良としては、性質がおとなしく力のある速い馬というのが目標だったが、戦前の競馬振興も軍馬改良のためである。
軍馬にはなりにくいサラブレッドがどうして軍馬改良に役立ったのだろうか。サラブレッドは軍馬改良のための原々種となるほか、競馬が馬の売買を活発にし、飼養管理の改善や乗馬技術を向上させるからである。馬政計画では、全国馬産地を役種別に乗馬産地・輓馬産地・小格輓馬産地・重輓馬産地に分け生産奨励を行ったが、乗馬産地として日高が指定され、さらに「重なる種の血統」として第一位にサラブレッドがあげられた。そして第一次馬政計画に基づき、明治40年(1907年)に馬の改良と馬産振興を図る「日高種馬牧場」が浦河町に開設され、今日の馬産地日高の基礎が作られたのである。
この種馬牧場設置の立役者となったのが、当時の浦河(現日高)支庁長だった西忠義である。西は、明治35年(1902年)の支庁長就任当時から農林省や宮内省への積極的な誘致活動をおこない、種馬牧場の日高への誘致に成功したのである。日高種馬牧場は大正5年(1916年)にほぼ完成し、終戦の昭和20年(1945年)までに2,300余頭の生産をおこない、候補種牡馬779頭、繁殖牝馬475頭を送り出した。昭和21年(1946年)には「日高種畜牧場」に名称が変更となり、その後は産業用馬の原々種馬や競馬用の種牡馬生産、さらには緬羊の増殖などの時代を経て、昭和40年代からは乳牛の改良のみを任務とするようになった。
日高種馬牧場
日高種馬牧場/明治42年(1909年)頃 (浦河町立馬事資料館提供)


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