馬と人間の歴史(主に日本史) 馬の北海道史(開拓/産業振興) 馬の日高史(馬産地への道) ページトップへ 馬と人間の歴史に戻る▲ 1/3ページ 日本における馬の歴史2へ わが国に馬が渡来したのは古くても弥生時代末期ではないかといわれている。4世紀末から5世紀の初頭には乗馬の風習も伝わっていたようだ。 埴輪馬/古墳時代 (馬の博物館蔵) 馬の用途は、軍事・輸送・農耕の3つが主だが、当初は軍事(儀礼用を含む)が中心であったようだ。首長が死ぬとその愛馬を殉葬する風習もあったが、後になるとその代わりに土人形の馬(埴輪)を葬るようになったともいわれる。 大化の改新以降、駅馬・伝馬の制度がつくられ、公的通信手段としての馬の利用が制度化されている。669年、百済救援のために朝鮮半島に出兵し、新羅と唐の連合軍に大敗したことを契機として馬の軍事的利用が政策課題となった。これ以降、わが国においては,第2次大戦終結に至るまで、馬政は軍事と密接不可分の関係がつづくことになる。8世紀初頭には国営牧場である官牧や、国衙(律令制下で諸国に置かれた役所)が管轄する国牧も設置された。 奈良時代になると兵部省に馬寮が設けられ、さらに武士階級が成立する平安時代には、馬寮は左馬寮と右馬寮に改組されている。武士は本来「弓馬の道」を専らとする職能集団であり、その主たる技能は騎射であったようだ。騎射に適した装備としての大鎧が発達する。源平争乱の時代になると、弓馬の道に熟練した武士以外の人々も戦闘に参加するようになり、必ずしも騎射が戦闘の中心ではなくなったようである。 平家物語屏風(部分)/平安時代 (馬の博物館蔵) 出土する骨から推定される当時の馬の体高は120センチから140センチ程度で、現在の競走馬と比べるとかなり小柄である。『平家物語』に登場する「池月(いけづき)」や「摺墨(するすみ)」などの名馬は比較的大柄だったようだが、それでも体高150センチ程度だったらしい。 1/3ページ 日本における馬の歴史2へ このサイトについて|お問い合わせ|